8|東京AL/深層
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The Great Duty

数日後。更に数ヶ月分の休暇が消え失せたが、始末書を書かされることはなかった。失態の後始末は、十数名の職員に『東京出張』という形で課せられた。

PM監視課の課長に呼び出されたルナ。――逸脱がバレた?

「――で、調査班は消失した主犯およびその他MEMEを追跡、除霊してくること」
「消失したって……それで東京出張? 東京に逃げてること、やっぱ分かってたんですね」
「白浜くんの報告にあった通り、その可能性が高いと判断したんだ」
「報告……したっけ。あ、そっか、黒球調査の報告」

密度の高い時間に、記憶が混濁している。

「でもなぜ私が調査班に?」
「そりゃ、白浜くんが直前まで主犯MEMEと……飼い主さんと、接触していたからだよ。一番手がかりに近いだろう」

――良かった。にがしたことはバレていない。

「……と思っていたんだが、白浜くんは東京に行かなくていい」
「……え?」
「HiPAR罹患疑い。翠さんは重度のHiPARと診断された。濃厚接触者はすぐに検診」

自分がHiPARである自覚はない。……最近、人の視線が少し気になるくらいで。でもそれは以前から、特にKALM入職前にはよくあることだった。嘘発見能力の弊害で、周囲の動向に過敏になる。

「……HiPARじゃなかったら、行って大丈夫ですよね。東京」
「いや、行かなくていい。加えて白浜くんには異動辞令が出てる」
「はい!? ……どうして? どこへ――」

――なにかやらかした? ……マズい。心当たりだらけだ。

「開発部が君を欲しがっている。深層開発課」
「深層開発課……? 拒否権は……」
「家庭の事情とかある?」
「……独り身、親は不在です」
「なら、たぶん拒否権無いね」
「でも、HiPARだったら迷惑かけちゃうかも」言って、それは除霊係についても同じだと悟る。
「大丈夫。異動先のほうが『眼には優しい』よ」
「深層開発課なのに?」
「なに? そんなに不満? 管理職ならメガネ無しても務まるでしょ。副課長」
「……え? ……はい?」

渡される硝子板には、思いもよらない肩書が表示されていた。

白浜ルナ 殿

内示

2143年11月1日付をもって、運営部 PM監視課 除霊2係 勤務を解き、
開発部 深層開発課 副課長 に任命します。

「うそ……」
「僕も驚いたけど……こんな美味しい話、普通ないよ。評判良いんだって、白浜くん」


――数日後、HiPAR検診の翌日。
病室の朝。寝起きでも頭がスッキリしないのは珍しい。ルナは目下、自分の異動について悩み続けていた。軽度のHiPARとの診断は、割合どうでも良くなっていた。

異動のことは誰にも話していない。本来なら、真っ先にハンナには相談していただろう。内示ではあるが、もはやKALMへの忠誠心に邪魔をされる筋合いはない……はずだった。そして今日は発令日だ。――今ごろハンナは異動の事実を知ったかもしれない。

あそこまでの逸脱を実行しておいて、揺らいでいる自分に驚く。何が自分を引き止めるのだろう。除霊係を抜ければ、除霊師ではなくなる。除霊作業の権限も消える。ドルミルのことはどうする? 「迎えに行く」といったあの言葉は、気持ちは、それこそ嘘だったのか? 東京AL調査班の名簿にハンナの名前は無かった。ドルミルを任せることもできない――このままでは、いずれ調査班によって消されてしまうかもしれない。
仕立はどう思うだろう。義娘、語依ユーイーの父は、深層開発の人間だったという。その手がかりを得るチャンスにはなるだろう。そして真相を突き止めれば、仕立は私の記憶探しを手伝わないわけにはいかなくなる。自分の記憶はなんとしても取り戻したい。……この期に及んで? ドルミルよりも大切? 協力してくれたMEMEたちよりも? 彼らの無念は、意思を持った生命としての主張は、無視して然るべき?

重い頭を枕から離すのに苦労した。きっと寝癖が酷いことだろう。……そうだ、歯磨きしなきゃ。ここは大部屋であるため、他にも患者がいる。少し気を使う。

……なんだろう。こちらを見られているような気がする。視線が気になる。……仕切りの隙間から外を覗く。あい部屋の数名がこちらを見ていた。――何?

つい、歯ブラシを持った手を止めてしまう。数秒の沈黙。怪訝な様相で視線をそらしていく人々。――デリカシーのない人たち。


「白浜です。問題なかったので帰っていいですか?」
「……」

受付の人間に話しかける。……返答がない。聞こえていないのか?

「あの!」
「えっ? あ、失礼しました。どうされましたか」
「経過観察。問題なかったので帰りますね。除霊係の白浜です」
「確認いたします」


KALM医療棟前。仕立が珍しく前方に、普通に立っていた。ルナが出てくるのを待っていた様子。

「で、どうするんです。副課長」
「……知ってたんだ」
「鳥越さんから聞きました」
「……異動すれば、語依ちゃんのお父さんのこと、分かるかも」
「……」

目を合わせない仕立。

「仕立さん?」
「そんなに自分の記憶が大事ですか」
「……いや、それは――」

他者に冷たい対応をされるのは、「嫌われるのには慣れてる」と虚勢を張ってしまうほどに、昔から嫌だった。――昔から?

「……利害一致じゃないの? そもそも、仕立さんが……私やLEXEMEやドルミルに、協力する理由は……ないでしょう? 仕立さんはLEXEMEでもないのに」
「……」
「何」

「じゃあ、仕方ないですね。鳥越さんは東京行けないみたいだし……語依に挨拶してくるとしますよ。出張準備しないと」
「待って。どうしてそこまで。あなたの動機がわからない」

――はたから見れば、それは自分も同じだろう。

「白浜さんは『自分の記憶を取り戻したい』と言った」
「……そうですね」
「私はあなたのめいおおせつかった」
「……まあ、交換条件付きでしたけど」
「無条件です」

無条件? 何を言って――。

いつかの会話を思い起こす。――そうか……! どうしてそんなこと。……気がつかなかった。

「私の命名を……」
「おかげで、また大層な重荷が増えました」
「……そんな。なおさら分からない。どうしてそんなこと」
「さあ。利益がないとやらないでしょうね」
「じゃ、じゃあなおさら、『記憶探し』は手伝ってくれるはずじゃ」
「だから、手伝ってるんじゃないですか。――そこにはないんですよ。白浜さんの記憶はそこにはないでしょう」
「どういう意味……」
「……はあ。ホントに言ってるんですね?」

暗い表情。いつしか見た、語依の話をしているときと同じ雰囲気だった。

「……待って。ちょっと待っ――」
「そうやって、記憶のないふりをしていればいい」

――えっと。……冗談? 嘘? 言っている意味がわからない。
俯く。地面が見える。鼻先の冷や汗。

「……」
「『意思Willが未来の歴史を作る』……贅沢ですよ、自分の意志を捨ててまで過去の記憶探しだなんて。……私はこんなにも――あ、そうだ。どうせ東京行かないんだったら、芝原さんと会ってきてくださいねー」

消える仕立。ルナはしばらくその場を動けなかった。

Anything I can imagine, I can make real.

の夢は叶う

「ちょっとルナ! 二日後に異動って――え、どうしたの……顔面蒼白じゃない」

出会い頭にルナを問い詰めようと思っていたハンナ。そんな気も失せるほど、ルナの様子はおかしかった。

「ごめん……ちょっと……」

返答になっていない。席に座っているハンナのそばで、うずくまる。

――そうか、この不安も焦燥も、きっとHiPARの症状。さっきの仕立の会話も、受付の人が無視してきたのも、相部屋の患者がまじまじと見つめてきたのも。そしてきっと、能力の効かない白衣の男も、得体のしれない柳の木も。全部幻覚――。

「あれ、白浜くんどうしたの? 昇進おめでとう」同僚の声。

――そう、昇進。私は深層開発課の副課長。肩書が与える所属感が、実在感が、この上なく心地良い。私はここに、KALMにいる、価値のある人間。確かな存在証明がここにある。

「ルナ。ちょっと来て」

ルナの手を取るハンナ。別室に向かう。


バイアス深度:3.8

「……軽症じゃないじゃない」
「さっき、急に上がって……」

深化抑制プログラムを起動する。HiPAR罹患者のデバイスに新しく配備された機能だった。一定のリズムでビープ音が聞こえる。

「で。じゃあ、東京行かないのね」
「……」
「また一人でどうにかしようとしてる?」
「……いや、そんなことは」
「じゃあ聞くけど。あの反逆行為を思い立ったのは、若気の至りだってこと?」
「……分からない」
「じゃあ、あなたのこだわりは何? あなたがこれまでに培った深い洞察は? MEMEのことはもういいの? あなたはこれまで、あの子たちと話して何を感じてきたの?」

湧き上がる意思をリアルタイムで偽ろうとする、ルナの脳に常駐しているプログラム。ハンナの言葉がその動作を抑制する。――私は、一体何がしたかった? 今まで何をしていたのだろう。

「……不安だったの。怖かった」

そう。私はいつもそうだ。

「――眼の前にいる人に、MEMEに、拒絶されるのが」

ずっとそうだった。私は、他者が怖かった。
他者に拒まれるのが怖かった。ここにいてもいい理由が欲しかった。常に。私がここに存在することの根拠が欲しかった。

そうさせるのは……それは、きっと、私の記憶が。過去が。ずっとそこにあった過去が。意思の底に巣食う過去が――。

「行かなきゃ。あの人のところに……行かなきゃ」
「そう。……私も行こっか? 近くまで」
「来ないで……私のこと、それ以上知らないで。ハンナにまで嫌われたくない」
「……私の意思のあり方まで、指示しないでよ。嫌う嫌わないはコッチが決めることよ。――あとそんなに興味ないし」
「……」
「アンタが何者でも……そんなの私にとって1ミリも関係がない」

脚の力が抜ける。崩折れる体。底から溢れ出ようとする嗚咽を、かろうじて制する。

「……なんでそんなに焦ってんのよ。落ち着いたらいいのに。――私の前でくらいさ」


――北山、とあるカフェ。

その女性の髪は長かった。色は白で、透明感はハンナのものに似ていた。座っている車椅子から足に不自由があると分かる。車椅子の後ろ、鋭い角が生えた背の高い獣が、スーツを着て立っていた。……オリックスのMEME? この人のMEMEエージェントだろう、とルナは推測する。そのMEMEが電動車椅子を後ろから押し、こちらに近づいてくる。

「白浜……ルナです」
「ルナ……さん。……リスト。芝原リストです」
「イラストレーターの方……ですよね。開発課の」
「ええ」

このぎこちなさ。何かが欠けているような気がする。

「KALMでは見かけなかった」
「リモートワークだから」
「ああ、なるほど……えっと。――私のことを知っていると聞いて」
「……うん。そうね……ホントに覚えてない?」
「……ちょっと待ってください……思い出してみます」

KALM入職以前、専門学校に通っていて――そのあたりから記憶がはっきりしない。――いや、正しくは「これを記憶というのか分からない」。なぜなら、思い当たるどれもが突飛すぎるものだから。
――世界中を、全宇宙を飛び回る旅人だったような気もする。星々を転々として、様々な種族と出会った。
――魔法のある世界で学生をしていたような気もする。最後には、悪の権化を魔法抜きで倒した。
――言語学者だったような気もする。急に現れた地底人との文化交流のため、学者たちを連れてフィールドワークに励んでいた。

私の過去は、このうちのどれかだったのだろうか。……いや、そんなはずは。たぶん、昔読んだ本の話だろう。

「記憶ってのは、気まぐれなものよね。……私も、昔のことは朧気おぼろげにしか覚えてない」
「芝原さんも?」
「……私やあなただけじゃない。みんなそうよ。昔の記憶は今思い返したって……ただの情報でしかない」
「みんな……そう」
「ええ。特に私たちは……ひとより弱いんだ。たぶん」

そんなはずがない。周りの人々――それこそハンナや河合さん、課長、シェアハウスの家主さん、弟分――みんな普通に過ごしてるのに。……あれ? どうして今、無意識に翠を外した?

隔離前に病室で交わした、翠との会話を思い出す。

――「ルナさん。考えたことが、全部叶うとしたらどうしますか」
――「え?」
――「私、妄想したことを現実にできるんです。夢が叶う。たぶん、生まれながらにそういう力があるんです」
――「……」
――「怖いんです。この力。この柳みたいに……全部、私が作ったモノかも。もう、それを確かめるすべもないんですよ……? 『私の夢は叶う』から」

いつか聞いた翠の言葉、「弟の夢だった」――あれは私が聞いた話でしかない。
寒気がする。私は翠の弟のことを、情報としてしか知らない……。


ホットコーヒーにミルクを注ぐリスト。話を続ける。

「私、東京出身なんだ。小さい頃に例の『沈没騒ぎ』があって……その時、私は偶然親の仕事で京都に来てて助かったの。でも、二人いた友達が……いなくなっちゃった。捜索活動があったみたいだけど、見つからなくて」
「そんな……」

人が消えただなんて。異常共振――いくらHiPAR罹患者の幻覚が伝染したからといって、人が消えるような幻覚を見たからといって、それは物理層で起こっていることではない。現実に起こったことじゃない。……それに、そんな記録は聞いたことがない。

「……ねえ。今の話、ホントかどうか分かる?」
「えっ」

そういえば、分からない。――この人の言葉にも、能力が効かない……? いや、それまでの言動には確信が得られていたはずだ。

「わ、分かりません」
「そう、よね。分からない。私にも分からないもの」

当人に分からない真偽は、ルナにも分からない。――この人、たぶん私の力を知っている。

「ねえ。私のこの記憶はホント? 友人を失って、ARの怖さを思い知って、OSIの不良を、危険性を訴えるために本を描いて……いま後ろにいるコイツの――MEMEの責任能力を問えるように、法で裁けるように声を上げていたら、KALMに規制された……LEXEMEに通じていたのがバレたのかと思った」

驚愕の事実が平然と並べられる。

「――で、どこまでの記憶がホントなんだと思う? 私の友達は、ホント? ホントにいたの? それとも私の創作? 絵本の登場人物?
「……」
「それが知りたいの。ずっと。……知ってるはずの過去が知りたい。あなたと同じように」

立ち去りたくなる。――でも、それを承知でここに来た。

「だから、あなたには嘘が分かるのかもね。……私のような思いをしないために」
「……ごめんなさい」
「どうして謝るの……謝らなくていいわ」

たしかに、なぜ謝ったのだろうか。視界がにじんで、リストの姿がよく見えない。私の大切な人――。

「東京行き、やめるんでしょう? 昇進だってね。……分かるよ、その気持ち。私だって何者かになりたい。何かをなせば、何かになれば、自分自身がホントだって実感できる……気がする。例えば、『LEXEMEの反乱から人類を救った英雄』とか『人類の制止を振り切って、LEXEMEの独立を叶えた解放者』とか。存在証明の末に、信じるに足る真実が欲しい……そんなもの、この時代、どこにも無いんだけどね」
「……あなたは。あなたは私の何……?」
「知ってるでしょ。忘れてしまいたいくらいに」
「……知ってる……知ってるよ……でも――」
「東京行くんだったら、お願いしたんだけどね。二人を探してきてほしいって」
「……」
「ごめんね。私、あなたにお願いばかりしてる」
「……いいよ。別に」

数分して、ルナは立ち去ろうとする。呼び止めるリスト。

「ねえ、私はホントに、ここにいる?」
「……いるよ」
「そう。……嘘じゃないといいな」
「いい加減にして。自分で決めてよ。そんなこと」

――自分もそうしなければならない。

「……大人になったね、ルナ」

Anything we can imagine, we can make real.

たちの夢は叶う

「いってらっしゃーい。早く帰ってねー」
「うん。……語依がいい子にしてたらね」
「じゃあ帰ってこれないじゃん」
「え……諦めるのが早いよ……」

玄関口から手を振ったかと思えば、興味を失くしたかのように家の中へ戻っていく。――いや、まあ、父と娘ってこういうものか。仕立は何かを諦めるときのような手順で、自分を納得させた。

「……立派なお父さんですね」ハンナが評する。
「やめてください」


しばらく歩いて、新京都駅に到着する。旧京都駅の横に併設されている、二対の高層ビル。上階の側面から、複数の透明な管が伸びている。あの辺りからは、かつてハイパーループや都市間ロケットなどが運行していた。――『新』といっても百年以上前の建物であり、『駅』といっても空港に近い雰囲気である。土地が荒廃し、主な移動先である東京まで廃墟となった現在、ここはもっぱらKALMの公用機――垂直離陸小型ジェットの発着場や、長距離自動運転SUVの立体駐車場として運用されている。人はほとんどいない。

遠くにKALMの調査班の集団が見える。十台ほどのSUVが隊列をなしていた。東京までの長旅、経由する荒廃した土地においては、管や線路が途切れている。ハイパーループはもちろん、電車も使い物にならない。ロケットやジェット機の使用は、貴重な燃料や電力を大量消費するため論外である。

SUVのルーフラックには、何やら禍々まがまがしい機材が括り付けられている。以前KALMに侵入したときに――七番によって無理やり侵入させられたときに、仕立が盗み聞きしたところによれば、これは『OSI中継用の小型電波塔』であるらしい。――なるほど、これなら私も京都の外に出られる。KALM所属のMEMEはどうやって連れて行くのか疑問だったが、謎が解けた。

ハンナの案内で、駐車場に止まっているSUVに乗り込む。KALM所属っぽい変装をしているし、警備のMEMEと自動運転管理のMEMEはすでに編集済みである。中継器が伸びた先までしか進めないことだし、あの調査班の隊列に気づかれないよう、後を追うことにしよう。――いざ、東京へ。

「鳥越さん。白浜さんをよろしく頼みますね」車窓を開き、伝える。
「……仕立さん、ルナに何かしたでしょ」
「何も……嘘をつくのをやめただけです」
「不用意に態度を変えていいのは子供のほう。保護者のやることじゃない」
「私は白浜さんの保護者じゃない」
「じゃあ何」
「カウンセラーです」


「本日付で深層開発課配属となりました。白浜です」

薄暗い、研究室のようなオフィス。専門のときの体育館くらいの広さ。二階が吹き抜けになっていて、お偉いさんと見える職員がこちらを見下ろしている。二階に上がると、歯の浮くようなお世辞をいくつか浴びせられ、歓迎された。割り当てられたデスクからは、研究室の全体が眺められる。――なぜ私がこんな席に呼ばれた? この期に及んでそう思った。

「白浜さん。良ければ施設の案内を」
「はい、お願いします」

いくつかの区画を回って、順に説明を受けた。あまり頭に入ってこない。区画ごとの壁に、『depth 4.0〜』『depth 4.5〜』などと書かれたラベルが、珍しく物理的に貼られている。

「珍しいですね」
「見失うといけないので」


「此処から先は『4秘』なので、同僚にも内密にお願いします」

No depth shallower than 3.8
No authority level below 4

ARシェードに囲まれたとある区画。ラベルには『depth 5.0〜』とある。その下、この場に似合わない一文があった。――『夢叶う』。根性論の話……?

中には数名の、患者衣のような服装の人間がいた。どう見ても職員じゃない。

「あの方たちは?」
「実験協力者の方々です。医療棟に入院されている方々の中から、同意の上で来ていただいています」

――本当に患者だった。……医療棟にいる患者とはつまり、HiPARの罹患者。

「……軽症なんですか」
「……ええと。俗に言う……重症患者です」
「は?」
「その辺からお話しましょうか。――ここだとアレなので移動しましょう」

案内役の職員についていくため、振り返る。なにやら、別の職員が区画に入ってきた。ここの職員だろう。患者衣の人間を連れている。

「えっ」

――翠ちゃん! ……嘘。なんで。隔離状態のはずじゃ。

「白浜さん。行きましょう」
「……あの。なんで私が配属されたか、聞いてますか」
「いえ、詳しくは……『適任だから』としか。――あ、いえ、除霊係でのご活躍はかねてからお聞きしてますけれど――」

……そうだ、私は副課長。知る権利がある。

「……行きましょうか。色々と聞かせてください」
「え、ええ。もちろんです。副課長」


――KALM除霊一係。

「主犯の除霊は中止……? なぜ」河合に尋ねるハンナ。
「あのMEME、歌い手『翠』のフリをして配信をしたヤツ。あいつは必要だ、とのこと」
「……掌返し」
「さあね。……KALMが一体何したいのか、俺もちょっと分からなくなってきたところだよ。深層開発課からの指示だそうだ」
「……ルナの行ったとこ……ルナの采配?」
「いや、あいつの異動前に決まってたことらしいが……」
「そうですか……。じゃあ、見逃すんですね? 調査班は無駄足、すぐに中止して戻る」
「いや、戻らない。別の指示がってる」
「別の?」
「『東京から連れ戻せ』と」


――KALM深層開発課、実験場。

「――ですから……まさか簡易検査の段階で、過去最高の出力結果を叩き出すとは……我々自身、思いもよらなくて」
「……それで怪我をさせたんですか」責める口調で尋ねる新副課長。
「我々も重く受け止めています」
「二度と、起きませんね?」
「もちろんです」
「……で、世間にはどう説明するつもりです。翠ちゃん……あの子、有名人ですよ」
「……説明は不要になるかもしれません」
「不要? ……まさか」
「……『翠ちゃん』は本人に任せましょう。PM-770に」


「東雲! いるか」
「えっ、漆さん」
「ちょっと来てくれ。相談したいことがある。――東京のこと」
……! 東京行きですか!
「シーッ! 4秘情報!」
「あ……すみません」

透に連れられ、面談室に入るサロ。――ついに、ついに東京に行ける!!

「……内密に、追って欲しいヤツがいる。とあるMEMEだ」
「……? 追って欲しいって。俺、除霊師じゃないですし……それこそ、調査班に依頼すれば――」
「正しくは、ソイツはただのMEMEじゃない」
「……ただのMEMEじゃない?」
「ああ。捕まえて、連れ戻してくれ。――妹さんを救えるかもしれない」

――ジーナ。ジーナを救える……!

「――ど、どうやって! ソイツがHiPARの鍵なんですか? どうやって見つければ? ソイツの見た目は!」
「落ち着け。――HiPARとは関係がない。……これはあくまで代替案だ。君がこの方法を、妹さんの救済とみなすかは……要相談だが」

言いつつ、硝子板を渡す透。

【4秘】
『脳電位マッピング式ARオブジェクト――GENE』
開発者:漆透

GENEジーン……?」
「MEMEと対をなすシステム……だが、完成間際にちょっとしくじってな。逃げられたんだ」
「逃げられたって……」
「すまない……本来はすでにこの提案をできていたはずなんだが」

――そういえば最近、漆さんは研究室にこもりきりだった。この開発をしていたのだろう。……僕ら家族のために。

「……ようやくこの前見つけたと思ったら、今度は東京に逃げやがったんだ」
「なるほど……探しますよ、俺。ソイツ」
「ああ。頼む。俺は念のため京都に残る。逃げ道を塞ごう」
「分かりました。――で、ソイツの見た目は?」
「ヤツに特定の3Dモデルは与えていないが――今の見た目はおそらく――」

硝子板から、監視カメラの記録映像を再生する。ホログラムが立ち上がる。

「――人狼


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