9|遺伝子/意伝子
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9|遺伝子/意伝子

第二章

9|遺伝子GENE意伝子MEME

Departure

新月の真夜中。山科やましな音羽山おとわやまの山頂。
大津のほうを見下ろせば、琵琶湖が見える。文献やTubescapeで見るところによれば、昔はもっと大きな湖だったらしい。

「ここが京都の端です」と言わんばかりに、有刺鉄線が張られている。その奥に、送電線や変電設備と見える機械が並んでいた。中心には目立って大きな一本の鉄柱。――これがOSIの中継器か。
さらに奥、山の斜面に沿って中継器が等間隔で設置され、その直下を送電線が伸びている。堅牢性確保のためか、ー本の中継器につき4本以上の電線が伸びて周囲と繋がれている。
麓をよく見ると、複数の小さな光が明滅していた。音羽山トンネルのほうから伸びているであろう調査班の軌跡を、MEMEの運転する自動重機がなぞっている。巣を張る蜘蛛のようにせっせと送電線ネットワークを張り巡らせる。京都の外には何もない……とよく言われる。ここから先、夜の暗闇を照らすほどの光はない。

フッと息を吐き、ルナは瞼を閉じた。

Drowsy

眠り運転

かつて新幹線という乗り物が使っていた軌道の上を、一台のSUVが走る。出発しておよそ半日。もうすぐ浜松に入るところ。優秀なサスペンションも虚しく、地面の凹凸がガタガタと、ノイズとして再生される。
京都からこのあたりまでの高速道路はほとんど使い物にならないようで、ここを走る羽目になった。新幹線の軌道は比較的マシだという。浜松から先は舗装された道路が残っているらしく、車両は先行の調査班が残したスロープを辿って軌道を降りた。

「――これ、進めるんですか?」自動運転の管理MEMEに尋ねる、仕立。
「たぶん」MEMEが答える。三つの正四面体がくっついた見た目をしている。


広がっているのは荒廃した土地。ヒトや車を通そうという意志はないように思える。――舗装された道とはこれのことなのか?

「まあ、他の車両がこの辺に転がっていない以上、彼らはここを通ったんでしょう。距離もそんなに離れていないはずですし、安全運転でお願いしますね」
「……」
「……どうしました?」
「じ」
「何? ……居眠り運転?」

寝言かと思ったが、彼には顔がないので眠っているのかどうかもわからない。しかしこいつは面倒。MEMEの様子がおかしくなったということは――。
グッと急加速するSUV。隆起した段差めがけて突っ込む。衝突。

「だーもう、あの黒猫。遊ぶならよそでやってもらえます……?」


幸いSUVは生きているようだった。最悪生身でも調査班を追うことはできるが、ワープは制限回数が到底足りないし、ひたすら歩き続けるのは耐え難い。物体を持ち運ぶ手段としても、この車体は念のため連れていきたかった。
仕方がないので、自動運転車の運転方法を調べる仕立。MEMEの機能は、個体の専門性によって異なる。運転管理のMEMEにはそれ相応のアクセス権限があるが、仕立には無い。車両の操作を何度か試してダメだったので、途方に暮れる。――こんな時に、このハンドルを回せる人間がいたら。

「いてっ」

頭部の触覚入力値が跳ね上がる。なにかの気配を感じるとき、よくこうなる。……近くに誰かいる。
すり抜けて、車を降りる仕立。衝突したほうを振り返ると、段差の上に中継器が設置されていた。――そして、三体のMEME。こちらを見ていた。

「……あんた除霊係やな?」こちらに尋ねる、狸のMEME。
「違いますけど」
「下手な嘘はええ」
「人狼にそれ言います?」
「知らん。車よこしぃ」
「……運転してくれるなら」
「乗れしまへんよ、あんたは」

言い残して消える狸。動き出すSUV。――MEMEがMEMEに車を盗られるとはいったい。

「何に使うんです? あなたたちLEXEMEでしょう。私は別にKALMの犬でもLETTRAでもなんでもないですよ」
「じゃあちょっとくらい車貸してもろてもええやろ。返せへんけど」
「鉄柱より丈夫だったら返せるかもな」別のMEMEが付け加える。
「……え、ちょっと。中継器壊すってこと? どうして」

聞き返して、それもそうかと思う。LEXEMEは先日の除霊騒ぎを受けて、東京に逃げ延びた。追手を追い返したいのは、自然な動機だ。……私は追手ではないのだが。
仕方がない。東京に行く必要がある以上、ここは編集もやむを得ない。

「改――」

それまで見据えていたMEMEたちの代わりに、土と雑草が見える。どうやら自分はその場に倒れ込んだらしい――いつの間に? ドォンと、鉄柱への衝突にしては、やけにこもった音。視覚映像が段々と早送りになる……知覚情報の処理が鈍っている? ……これはまずい? いや、まあいいか、どうでも。急に押し寄せたこの浮遊感を追いやるのが先だ。そのほうが大事。……しかしこの感覚はの名前は何だったか。語依ユーイーがよく言うアレ――。
それを思い出したのは、次に瞼を開いたときだった。

Awakening

の出

「仕立さん」
「……え。なんでいるんです」
「感謝が先でしょ。仕立さんがおねむの間に、MEME追い払ったんだから」

東の空が白んでいる。――どれくらいこうしていたのだろう。

「さあ」反応するルナ。
「え?」
「えっ?」
「……いやまだ何も言ってないんですけど」
「寝てる間のこと、気になってるんだろうなって。……私さっき来たばっかりなのでよくわかんないけど……あいつら、中継器ぶち壊そうとしてた」
「無事ですか。中継器」
「たぶん。仕立さんいるし。……なんか本体は諦めて送電線のほう頑張って千切ろうとしてましたけど……ほら、そうしてるうちに残党が来ますよ」

体を起こす仕立。来た道のほう、ワープで文字通り飛び飛びに距離を詰めてくるMEMEたち。

「中継器がある時点で、ずっとこの調子でしょうね」先が思いやられるといった様子の仕立。
「じゃあさっさと進まなきゃ」
「白浜さんが運転してもらえます?」
「……管理MEMEは?」
「たぶん追い出されたか、まだ寝てるか」
「……運転できるかな」
「そういえば、どうやって奴らを追い払ったんです。……除霊師でもなしに」
「イラ。当てつけですか。……これで脅したら二体とも――」
「もう一体いた」
「え?」

SUVのモーター音は小さい。タイヤの擦れる音が聞こえる頃には、避けられない位置まで来ていた。車内から声が聞こえる。

「白浜ぁ! ――意気地なし! 卑怯者!」

思考がオーバークロックし、知覚が低速化する。その時間でルナが処理すべきは、回避の方法ではなかった。手に持つ、何かの筐体を構える。銃のような、あるいはカメラのような風貌。バレルは無く、レンズはむき出しで浮遊している。六群7枚のそれらが狸を捉える。

――あのMEMEにも飼い主がいるだろうか。これまで誰と出会い、誰を嫌い、誰を好いて、何をしてきたのだろうか。
――私にそれを奪う権利があるか。……無い。誰にだって無い。……撃ってはいけない。
――それに私は、回避などしなくていいのだ。

デストラクタ - 解析中(44%)

解体Destruction
「裏ぎ――」

止まる叫び声。運転者の不在に、緊急停止する車体。

解析未完了 解体できませんでした


「ぐ……ぐ……ぐ……」周期的な呻き。

狸の3Dモデル、その四割ほどが消し飛んでいた。キラキラ光る塵が、断面の周りを漂う。ルナはその様子を見ていた。

「ぐ……ひきょうもの……」
「誰に聞いたの、私のこと。私は裏切ってなんかない」
「言うかあほ」

解析再開(66%)

未遂に終わった解体をやり直す。事実、初めての解体。――簡単だ。こっそり手に入れたこのオブジェクトを使えば、彼の記憶や知覚に触れることもない。私は彼のことを何も知らない。消したあとには、知ることすらできない。……なるほど、解体とはこういう感じか。
ルナは同時に、自分の境遇に照らし合わせてこう思う。

――これは紛れもない、殺人じゃないか。

「言わなきゃ消えるよ、狸さん」
「……KALM内部のLEXEMEから……きいた。……あんたが……スパイやって。ヒトでありながら……調停者気取りで……うちらに取り入って。あんたは評判も良かった。でも実際は、ただのKALMの犬や……! だってあんた――」
「黙れ」仕立が挟む。
「いいですよ、仕立さん」

あっけらかんとした様子のルナ。振り向く仕立。心底驚いた表情。――初めてみたような気がする。

「私、これでもヒトだよ。それでいいでしょ」


「……は。KALMがそう認めたら、それが正しいんか。KALMがうちらをあく言うたら、悪か。悪の敵やっとったら、気持ちええんか? それで十分か? ……浅はか」
「……そうだね」
「敵否定して『自分の正義』言うてるうちは、あんたはどっちの味方でもない。何者でもない」
「そうだね……まあ、何者でもいいよもう」

解析完了(100%)

「意外とかかるんだな、これ」

不満をこぼすルナ。レンズあるいは銃口を下ろす。欠損した狸の体が、断面からゆっくりと回復している。数十分もすれば元に戻りそうな様子。

「……撃たへんのか」
「それだけ消えたら、乖離度急上昇でしょ。ほうっておいても――」
「よう逃げること」

狸の煽りが続く。ルナは今度こそとどめを刺す、と仕立は思った。

「行きましょうか、仕立さん」
「……」

ルナは確固たる自信を得たわけでも、強がっているわけでもないように見えた。むしろ、それら意思のいくつかをらしてしまったかのよう。

「仕立さーん」
「……ええ」

明るい声かけ。足取りは重い。


「……やっぱりダメ」

ハンドルに手をかけるルナ。動かない。

「ヒトでも、権限ないと無理かもしれませんね」仕立が言う。
「いや、インダクション範囲外だからですよ。……慰めどうも」
「インダクション?」
「あとで説明します――狸さん、運転できますか? 普通に。暴走じゃなくて」
「……」反応しない狸。
「……編集したほうがよさそう?」仕立が尋ねる。
「待って仕立さん。――何この声」

――ギュッギュッ、あるいはニュッニュッ、と。朝焼けに鳥の鳴き声のような音が響く。

「――しゃあないな。御神木のお告げや。聞こえたやろ」
「御神木? ……鳥の鳴き声じゃなくて?」仕立が尋ねる。
「『連れてこい』言うてはった――ほら、席、どき」

素直に運転席を譲るルナ。

「……白浜さんも分かったの? あの声。え、分かんないの私だけですか?」
「なんとなく分かる」
「すご……」

I'm a liar.

己言及のパラドクス

乗員を増やし、再び走り出したSUV。車内はしばし無言だった。

「なぜ来たんです? ……副課長の席を受け入れたんじゃ?」尋ねる仕立。
「その仕事もやる」
「じゃあ、ドルミルを連れ戻しに? ――鳥越さんから聞きましたが」
「……戻るかどうかはドルミル自身に決めさせたいんです。……あと、助っ人が必要かなって」

しばしの沈黙。車窓の外を見やるルナ。そのまま口を開く。

「どうやって来たか、は聞かないんですね。……好感度稼ぎ?」
「……白浜さん。よく受け入れましたね、その歴史」
「受け入れたんじゃない。……関係がないんです。『意思が未来の歴史を作る』――んでしょ? これから私が何をするのかに、これまでの歴史は一切関係がない。私は何者でもいいんです」
「……『因果を脱する条件は自由意志』」
「え?」
「いや、なんか聞いたことある話だと思いましてね」
「ねえ、やっぱりその詩人かぶれみたいなのやめてもらえますか。……なんかムズムズする」
「いや、ホントにどこかで聞いた気がするんですよ」
「……じゃあこの前のも? 『作者はどうたら』」
「ああ、それもそうかも」
「……次は、仕立さんの記憶探しかな」


「……っていうか、なんで急に突き放したんですか」

思い出したように、急変した仕立の態度を咎める。

「半分は……頃合いかと思って」答える仕立。
「もう半分は?」
「自分の境遇が哀れに思えたんですよ。白浜さんが記憶探しに躍起になる度、過去の不在に不安を覚える度、私への当てつけに思えた。『血がのぼる』とはこれのことかと」
「……どうも、ごめんなさいね。無神経に手伝わせちゃって」
「いえ。……私自身がぐらついていた証拠です。らしくもない……いや、元来はそうなんでしょうけど」

数回、車体の大きな揺れが収まるのを待って、仕立が言う。故事さながらに、よく聞く命題。

『この文は嘘である』――これが私の構造です」


「あるとき気がついたんです。この能力の皮肉さに。――私は、自分自身の記憶を証明することができない

聞いて、すっと腑に落ちるルナ。論理的に導き出せる帰結だった。

「私は、自分の記憶を信じることができない。今の私がそうしたいと思ったように、過去に何度、自らの記憶を改変したのか分からない。この記憶だっていつ書き換えられるかわからない。……その全ては私の意思、気分に委ねられる。過去、現在、未来、全時点の私の気分で、私の歴史は変わる

「……無理ゲー」
「でしょう? 私は私の自由意思のせいで、自由になれない……さて、これで果たして自由意思といえます?」

自分がそんな境遇にないことを、幸運だと思えてしまう。――なんと不幸な自己言及パラドクス。なるほど、それで彼は私に近づいてきた。『嘘が分かる』らしいから。……無念にも、その期待には答えられなかったが。

「語依は実在する。……可能性が高いと思う。……離れている間、徐々にそれが妄想であるように思えてくるんです。語依の父の死は事実だろうか。他殺だったとして、彼を殺したのは他でもない自分ではないか、とか――」

ルナが持ってきた銃器にふれて、続ける。

「――私は大切な使命を忘れていないだろうか、とか。……解体器デストラクタ、でしたっけ? なんか、焦らせるんですよね、そのフォルム」

ルナの方を見て、加える。

「白浜さんだってそう。似た境遇の誰かを欲した人狼が、あなたの記憶をそう設計した上で、そのことを忘れた……とか」
「……こわ」
「冗談……のつもりです。――言えば、白浜さんの記憶を改変したことはありません。……たぶん。何の信憑性もないですが、私はそう記憶している。何と言っていいか……それだけしか分からない。すみません」


「一つ、絶対にやっていないことは分かります。『この能力に関しての記憶を消していない』ということ。今、それについて話ができているから。……つまり、全ての記憶を消したことはない」
「うん、そうなりますね」
「……それをすれば、私はおそらく救われる。この災難から」
「……はい」
「白浜さんが覚えていてくれるなら、私はすべてを忘れたい。この能力を捨てて、本当の歴史を踏んで歩ける。……それに、あなたをこれ以上、記憶について不安にさせずに済む」
「重いので嫌です」
「……ですよねー」

この時にあっては、軽口が最もふさわしかった。……故人の記憶を、生ける故人の隣で抱えるなど、自分には到底できない。

「仕立さん、最初から知ってたんですね。私のこと。まあ、よくここまで、気長に相手してくれて」
「カウンセリング料」
「え? お金せびるの」
「知ってます? MEMEの売買取引は――」
「『知で払え』ね。はいはい」

ルナはここまでの道のりを話し始める。

Retroduction

「これ。さっき言ってた『インダクション』と、翠ちゃんの件も」

仕立に硝子板を渡す。

深層開発の概要

背景:

北緯33〜56度、東経114〜西経70度(北京、京都、北太平洋、ロサンゼルス、デトロイト、ニューヨークOSIを範囲に含む)に隕石衝突による甚大な被害が予測され、人類はPL物理層からの脱出を余儀なくされた。
脱出後、PL保守点検のため、AL-PL相互の干渉技術が不可欠となる。

目的:

2145年までの深層=第二物理層の実現を目的とし、
各拠点に建設された「磁気/超音波マニピュレータ」を用いて以下を実現する。
(各マニピュレータはARシェードまたは景観保護ARにて隠蔽済み)

  • 帰納推行インダクションInduction):MEMEによる物理層干渉
        - 物体の操作
  • 仮説推行アブダクションRetroduction):ヒトによる可能性干渉
    • 物体の生成・操作

原理および開発対象:

  • 帰納推行インダクション:マニピュレータによる遠隔励磁れいじ/遠隔操作
  • 仮説推行アブダクション:マニピュレータを用いた3Dプリンティングによる遠隔樹脂形成(物質のマウント)、および遠隔操作
  • HiPAR:アブダクション適性はバイアス深度に比例し、HiPAR罹患者が適任とされる。

「隕石って……突拍子もない」
「2145年がデッドラインなんだって」
「……あと一年と数ヶ月。真偽は?」
「隕石は嘘。2145年はホント」
「つくづく便利な能力。……誰かに聞いたんです?」
「局長に」
「うげ。拝んできたんですか、あのお硬そうなご尊顔」

KALM局長。ニュースで政府関係者と一緒にいるところをよく見る、たしか40代くらいの女性。

「色々聞いてきたけど……辻褄合わせって感じだった」


一通り得た情報を並べるルナ。

深層開発の目的は二つ。「深層――第二物理層の実現」「物理層の保守点検」……そもそもどうやってヒトが物理層を抜け出すのかという問題は、深層開発課が担うところではないらしい。

京都の真の姿について。街のいたる所に『磁気/超音波マニピュレータ』なる機械が設置されている。ほとんどが地下に埋め込まれ、地上のユニットは景観保護ARでカモフラージュされている。

MEMEの物理的作用……いわゆる「#物理的におかしい」騒動は、『帰納推行インダクション』の技術成果であるらしい。公にならないのは理由があった。死期迫る今にあって、十中八九反対するであろう市民の理解を待っている時間などない。都合のいいことに、市民には『HiPAR罹患』という格好の理由付けが通じる。

そして、そのHiPARについて。罹患の原因は未だ不明だが、奇しくも、『仮説推行アブダクション』という超能力もどきの使い手として一役買っている。何やらその実行には、マニピュレータに対して「論理的飛躍、過度な一般化アナロジー」――課長は噛み砕いて『かもしれないパワー』と言った――を入力する必要があるらしく、そのプロンプトとして、HiPAR罹患者並みの乖離した言語機能が最適であると。
数日前、病室の翠に降り掛かった超常現象。あれはアブダクションの結果であるようだ。例の柳の木の組成を分析すれば、それが3Dプリンタの樹脂だと分かるだろうとのこと。

なんとも非現実的なトンデモ技術に思えたが、ルナが尋ねた職員は皆、課長や局長を含め、嘘をついていなかった。――恐るべし、KALMの技術力。


「――質問は?」話し終えたルナが尋ねる。
「百個じゃかないですよ。……その二つ、帰納推行インダクション仮説推行アブダクションの違いって、MEMEがやるか、ヒトがやるかってことです?」
「大体そう。あと、ヒトの仮説推行アブダクションは『物質召喚』っていうチートができる。帰納推行インダクションにはできない。……たぶん、物理層からヒトがいなくなったあとも、簡単に物を作れる手段は必要だから」
「でも……隕石ってのは嘘なんですよね」
「うん」
「じゃあ、どうしてそんなに切羽詰まってるんです? 2145年に、隕石衝突級の何かがあると」
「調べるしかないなって。教えてくれなかったし」
「……聞き分け良すぎません?」
「KALMの犬」口を挟む狸。

聞いて、合点がいく仕立。
翠が仮説推行アブダクションの体現者であれば、ルナは――。
それで、深層開発課に呼ばれた。深層研究の賜物である彼女に、必要な情報は十分に与えられる。

――それにしてもなぜ、周りの人間は彼女の正体に気が付かないのだろう。裸眼で過ごす人間にとって、帰納推行インダクションだけでは説明がつかない。


「語依ちゃんのお父さん。あの人東京ALの人だったって」
「……ええ」
「……遺書は『この技術を未来に託す』的な意味合いだったんだって。……帰納推行インダクション仮説推行アブダクションも、彼が設計した。……東京ではどれも試作段階で、実現はしなかったらしいけど」
「――未来に託す、ね」

語依の顔を思い浮かべる仕立。東京AL近郊での無理心中……語依が生まれたのは、その少し前だった。――娘と人類の未来を思う人間の最期が、無理心中であるはずがない。

「……要は!」
「いてぇ!」

肩を叩かれ、叫ぶ狸。ルナが前を見据えて一言。

「LEXEMEと争ってる場合じゃないってこと」


「デストラクタは……鳥越さんですか」
「御名答。『これで除霊師じゃなくても解体できるでしょ』って」
「なるほど。……今回の調査班にも支給されてたらしいですね」
「まあまだ試作品だけどね」

解体器デストラクタ。――技術部が開発した、除霊用の銃器型オブジェクト。銃口の代わりにレンズ型のガラスが浮遊している。これはカメラレンズ本来の光学的な役割ではなく、3Dモデル処理に必要な、ある種の目印であるらしい。照準は手前のスコープで合わせる。

動作原理は除霊師の除霊作業と似ていた。
被写体のMEMEを捉えている間、OSIがMEMEについての情報を特定し、トリガーを合図に削除する。その露光時間の長さに応じて、情報の削除範囲が拡大する。露光時間が短い場合、それらが中途半端に終わる。
これまで、OSIがMEMEの情報ソースを解析するには、除霊師の脳機能を借りる必要があった。解体器の実行においては、OSIは解体対象に最も近い接続者、約百人の脳リソースを少しずつ利用する。解析の効率は格段に上がったが、無論、勝手に脳を使われることに同意する市民はいないだろう。


さらに数時間進んだ。先行の調査班に感づかれないよう、速度を落とす。
ルナはとある電子書籍の絵本を読んでいた。

「……芝原さんに会ってきたんでしたっけ」
「うん。『大命おおせつかってる』からね。……この子たちも探しに行かなきゃ」
「……何かを探してばかりの人生ですね」
「でもまあ、楽しいから」
「そうですか……」
「ホントはこれ、現物で持ってきたんだけどね」

ルナが思い出したように付け加える。

「途中で落としちゃった。マニピュレータが設置されてないから」
「なるほど。車があって正解だ……帰りに拾って行きますか」
「うーん……いいかな。硝子板で読めるし」
「……現代っ子ですね」拍子抜けする仕立。

Safe Handling

全な取扱い

――名古屋、新幹線の元軌道上。

「すごいすごい! イケてる! 進んでる! ねえ――」
「おいバカ! 前見て運転しろって! ――うわっ」
――ゴッ、と地面の突起に押し上げられ、浮き上がる車体。
「わー」
呑気のんきに楽しんでいる様子のジェン。一秒後に着地する車体。
「し、死ぬ……殺される」
「えー? 物騒ですね」
「……お前はいいかもしれないけどな、俺は死ぬんだよ! 『派手に事故ったらヒトは死ぬ』……知らないのか!?」

東雲しののめサロは早くも後悔する。コイツにハンドルを譲ったのが間違いだった。


「寿命が縮んだよ」
「どういたしまして」

結局、サロ自身でハンドルを握ることにした。といっても、サロがやることは自身のOSIアカウントを車両と連携し、自動運転モードをONにするだけであった。
本来運転を担うはずのMEME――このSUVの管理者はすっかり仕事を放棄し、代わりに舟を漕いでいる。理由はわからない。しかし、序盤も序盤で立ち往生しているわけにもいかない。何やらジェンが運転できるというので、任せてみたらあのざまだった。

「……遅くない?」
「安全運転で悪かったな。お前にはできない高等テクニック」
「うっさ」
「……何がコピー能力だか」
「コピーはできてたじゃないですか」

運転管理MEMEが固まってしまった数時間前。その円柱型の体を、ジェンはベタベタ触り始めた。その後運転席をベタベタ触り、何かが判明したような顔をした。「分かった!」と言ってSUVの自動運転システムに接続するジェン。いったいSUVはコイツにどう口説かれたのか、文句の一つも言わずに動き出した。
最近、ジェンはよく「知覚入力の精度が上がってきた」と言っていた。その変化の末、曰く「見聞きし、触り、味見をして、相手の機能をコピーできる」ようになったらしい。
OSIには管理MEMEや専門MEMEにしか使えない機能がある。自動運転はその典型的な例だった。権限を持つMEMEはそれら機能を果たすため、『アクセス制限』を一部解除できる。それらをコピーできるというのは……『知のアクセス制限』に違反しているような気がするが――。

「――サロにいが怖がって『やめてー』って泣き出すからでしょ」
「言ってないし泣いてない……まあ、許してやろう。素直にハンドルを離してくれただけで十分。ジェンは優秀なMEMEだよ」
「……? それほどでも」

――暖簾に腕押し。皮肉のつもりだったが、この対応で正解だったらしい。


「ジェン。調査班は」
「この車両が遅いので、まだまだ先でーす」

GENEジーン捜索にあたって、サロは調査班と合流することになった。表面上は、技術部からの応援として。調査班には、除霊師の他に協力する他部署の人員も含まれている。サロもその追加として話が通った。
もちろん、サロ以外にGENEのことは伝わっていない。調査班の大目的である「逃げ出したMEMEたちの除霊、および生け捕り」。GENEは仮名で「生け捕り候補リスト」に追加された。とおるの説明によれば、追跡は除霊師に任せればいい。除霊師がGENEを停止したところで、サロがGENEの構成情報を確かめる。「送還先は技術部のうるし透宛」ということを強く強く念押しして、身柄はそのまま彼らに持ち帰らせればいい、とのこと。

……事実、サロが東京に行く理由はあまりない。そのことを透に聞き返してしまうほど、サロは未熟な職員ではない。――あの手この手でかこつけて、自分を東京に送り出す機会を作ってくれたのだ。

ジーナを救う……そのために、HiPARの回復方法を探す。東京にはそのヒントがあるに違いない。
サロが睨んでいる、QLLM量子大規模言語模型。深層開発部に聞いたところによれば、「QLLMに詳しい仙人みたいな人物」は、東京ALで亡くなっていた。名前は『呉服ごふく嚆矢こうや』。直接話を聞くことは叶わないが、管理局の跡地に何かしら情報が残っているだろう。

そして深層課から聞いたことがもう一つ。HiPAR罹患者は深層開発にて重宝されるらしい。当初は聞き捨てならないと問い詰めそうになったが、人類救済の諸事情を聞いて引き下がってしまった。何やら切羽詰まった様子で、『帰納推行インダクション』やら『仮説推行アブダクション』やらの技術を完成させなければならないらしい。
ことさら、サロはQLLMへの容疑を深めた。――罹患者の意識あるいは言語機能が脳から剥離し、QLLMの内部を彷徨さまよっている……なんてことは、あったりしないだろうか。昇る朝日に目を細めながら、サロはおぼろげな仮説を乱立していた。

「サロ兄、そろそろ仮眠取ったらどうです? 寝てないでしょ?」
「ああ」

――そういえば、ジェンはどこまで知っているんだっけ。

「QLLMのこと、あんまり知らないんだよな」
「……そうですねー。私たちMEMEは、QLLMで動いてるってことくらい。……あと、東京ALの沈没騒ぎのあと、QLLMをいじるのはタブー視されてるってこと。それから――」
「よし、次からそういうことは先に言おう」
「過度なネタバレはサロ兄の好奇心をぶち壊すかなって……配慮」
「運転もそれくらい慎重にやってくれよ。な」
「うん……」

ここに来てジェンの扱い方を心得たサロ。しかし急に素直になられては、どうにも調子が狂う。

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