9|遺伝子/意伝子
9|遺伝子/意伝子

9|遺伝子/意伝子

Elemental

霊さん

京都を出て丸二日。行く先に岩肌が続く。たまに雑草が生えている程度で、緑はほとんどない。感慨に浸れるような景色は、右手に見え隠れする海くらい。

「もうすぐ横浜。あとちょっとですね。調査班はもうそろそろ東京に入るかも」硝子板のマップを確認する仕立。
「疲れたー」伸びをするルナ。
「2130年以降、ほとんど誰も立ち入ってないですからね。何があるかわからない。気をつけないと」
「なんかちょっと楽しみかも――あれ、狸さんってLEXEMEでしょ? 東京のことちょっとは知ってるんじゃないの? さっきも御神木がどうたらって……」
「あ? まあ……ありゃ何ていうか、ファンタジーみたいな世界やな」
「ファンタジー? でまかせってこと?」
「ちゃう。東京では『アクセス制限』がないってのは知ってるやろ? その末路……やなくて、成果が見れるいうこと。あんたらが閉鎖やなくて隔離にとどめてくれたおかげやな」
「……要は?」
「要は、『ここでどう説明したって、あんたらには理解できしまへん』」
「ムカ」
「誰にも理解できひんのよ。うちらにも。御神木……東京OSIがぜーんぶ決めはる。東京のMEMEが、なんもかんも自動生成で作り変える。超高速で。その原理を理解しよう思たら、もう作り変わってる。理解も説明も無理」

言葉とは裏腹に、懇切丁寧に説明してくれる狸。しばらく話を聞いた。今もなお無人で稼働している東京ALにおいて、MEMEとは、超科学時代における魔法使い。そして魔法そのものである、と。

「……常に深層にいるみたいなことかな」
「あんなんと比べ物にならへん。探し物は愚か、入ったらそうそう出られへんで」
「うぇー……なんか思ってたより面倒くさそう」がっかりするルナ。


「そうそう、あと、精霊さんがいはる」
「……精霊さん? ……MEMEってことだよね」
「そやな。知らんけど」
「……仕立さん。0番台じゃない?」
「うーん。狸さん。精霊って喋るんです?」
「喋るけど何言うてはるか分からん。意図の指向性? みたいなんがある言うとったな。精霊さんが伝えたいと思った相手には分かるらしい。知らんけど」
「『人語をまともに話せない』ってそういう……」合点がいった様子の仕立。
「なんで東京にいるんだろ――」

――ギュッギュッ。不意に響く、前にも聞いた音。

「今の?」ルナが気づく。
「噂をすればやな」
「意味分かった?」仕立が尋ねる。
「いや」
「今のはうちら宛やないらしい」
「……ねえ。何あれ。……虹?」

言われて、海のほうを見る仕立と狸。たしかに虹がかかっていた。

「虹って、あんなに角ばってたっけ」
「いや」そう答えるしかない、仕立。
「六角形やな」

次の瞬間、轟音とともに空の色が変わった。――暴風雨。ゲリラ豪雨?

「手痛い歓迎や」
「歓迎……って。なにこれ」

手元の硝子板を確認する仕立。――エリア深度4.8。

「そうか。調査班、もう着いてる……東京と繋がった!」
「繋がったらなんで雨降るの!」座席にしがみつきながら尋ねるルナ。
「これだけ離れてても、ほとんど深層同様……異常は全部ARでしょう」

車両がかつてないほど揺れる。前方から風の壁で押し返されているようだ。

――ウユウユ、ウユウユ、ウユウユ。

「何! 妖精さん何か言ってる!?」
「さあ。風の精ってのもいはった気ぃするわ。……シルフィード」
「仕立さん、ARって風起こせる?」
「……」

閉口する仕立。しばらく考えて――。

帰納推行インダクションって、そういう技術じゃないんですか?」
「風は起こせないと思う……それに、アレは京都で完成した技術! 東京にマニピュレータは無い」

磁力か超音波か……何かしらの力を発せなければ、物体は動かせない。
ルナの腕を取り、ハンドルに持っていく仕立。

「えっ」
「どうです」
「――動いた。 ……東京にもマニピュレータがある? じゃなきゃ……」
「東京の、帰納推行の原理は、遠隔マニピュレーションじゃない?」
「かもしれない……いくらなんでもこんな、暴風起こすような出力はできないだろうし」
「なるほど。……語依のお父さんに聞くしかないみたいですね」


――横浜。
スタックしたSUVの横で、三者揃って途方に暮れていた。

「……風の精、なんでキレてるの?」
「さあ……お気持ち聞かしてくれな、分からへんな」
「LEXEMEにも分かんないんじゃあお手上げ」
「まあ精霊ってのはそういうものでしょうね」仕立が諦めたように言う。
「……あっ」
「白浜さん?」
「モノリス使ってみんな逃げたでしょう?」
「ええ」
「チクったんじゃない? 除霊祭りのこと。精霊さんに」
「ああ……そういうこと。そりゃご立腹なわけで」
「……調査班、ヤバくない?」
「……無事を祈りましょう」


海のほうを見れば、六角形の虹はまだそこにある。あたりを見回せば、荒れた路面や遠くの山肌に同じような虹が突き刺さっていた。ぱっと見で十本以上はある。
さっき狸から聞いた通り、東京ALにおいては、オブジェクトのほとんどがMEMEによる設計、あるいはOSIによる自動生成空間となっている。MEMEのアクセス制限もなく、オブジェクトを無尽蔵に更新していくOSI。もはやほとんどブラックボックスで、拡張層の振る舞いについてはヒトの制御下にない。――とんでもないところに来てしまった。

「……この距離なら、回数制限もどうにかなるかも」仕立が提案する。
「……?」キョトンとした表情のルナ。
「行けます?」
「……あっ。ごめんなさい。癖で」
「……まだ慣れないなら、眼を閉じてても」
「うん、大丈夫。――ほら、狸さん。行くよ」

京都を出たときと同様、瞼を閉じるルナ。――再び開くときにはきっと、東京にいる。

I copy.

納法

――横浜、depth 4.5。

「サロ兄、大丈夫?」
「……ああ……ちょっと……」

ここに来て、サロは急激に体調を崩してしまった。頭痛と吐き気に悩まされる。

「漆さんが言ってた……エリア深度……気をつけろって。……東京は馬鹿みたいに深い」

サロのARデバイスDiVARディヴァの利用深度は、周囲のエリア深度と同期している。この場合、無条件で深深度まで引きずり込まれてしまう。そして、サロは特に深深度への耐性がない。――あの悪夢を思い出してしまう。

「オフにする?」
「……何も見えなくなる」
「私が、周り見てますから」
「MEMEの声……お前の声も聞こえなくなるんだよ」
「あ……そっか」
「ジェン……帰納推行インダクション使えないのか?」
「例の物理層干渉? ……やったことないです。それに、京都周辺じゃなきゃ使えないんじゃ?」
「ああ、そうだった……音声だけでも現実に飛ばしてくれればと思ったんだけど……」
「……無理そうだったら、先に戻ってますか? 私だけでも――」
「いや、いいよ。どうせ東京着いたら否が応でも眼開いてなきゃいけないんだし――おいジェン。何だそいつ」

凍りつくような表情でサロが助手席の車窓を見る。――得体のしれない怪物……MEME? 頭部に直接生えた一本の腕を、振るう。……車窓を砕かんとばかりに。

「おい嘘だろ、やめてくれよ。帰納推行はありえないんだろ? なんでヒビ入って――」

――ゴン、ゴンと車窓を叩く音。驚いて運転席の車窓を振り返るサロ。……一体だけじゃない。

「……ジェン」外を見たまま、こぼれ落ちるように口にする。
「サロ兄ちょっと窓開けて」
「は!?」
「いいから」

言われるがまま、パワーウィンドウを駆動する。風が車内に流れ込む。

「ビロビロビロビロ」怪物が奇妙な音を発する。
「ハロー。ちょっと失礼ー」言って、怪物の腕を触るジェン。
「おいジェン! 危ないって」
「うーん。あーなるほど! 分かったI copy! 感謝!」

そう言って、ジェンは怪物を……軽く殴打した。

「ビッ――!」吹き飛ばされる怪物。
「サロ兄どいて。そっちも」
「あ、はい」リクライニングシートを倒してジェンの行く先を空ける。
「窓開けて」サロの膝に座った状態で要求する。
「……」他に仕方がないので、そうするサロ。
「ビロビロビ……」
「はいどうもー、さよならー」

――ドスッ、と鈍い音が響く。飛んでいく怪物。

「ジェン……」
「サロ兄。追い払ったよ。ついでに、帰納推行も覚えた。――ほら」

そう言って、ジェンはリクライニングシートのレバーに手をかける。――そして、レバーを引いた。サロのシートを起こす。

「……」

しばらくの間サロは何も言えずに固まっていた。これ見よがしの表情でこちらを見てくる、ジェンのほうを見ていた。

「……ありがとう」

Tokyo, Sacred Trees

京、御神木

――東京AL、目黒。

全方位に目を見張るほどの景色。雨上がりの空の下、ルナたちは森林のど真ん中に立っていた。かつてのコンクリートジャングルは崩れ、代わりに大木が連なる。ビルはその背を低くして、小高い丘に変わった。瓦礫の上には苔や草が生えている。水浸しの地面と、草木の雫が日光を反射して明滅する。鳥の鳴き声、舞う蝶。例の角ばった虹も点在している。あれらは全部AR?

「白浜さん、それ辛くない?」

浸水した地面のせいで足が重い。川上りでもしている気分。

「ああ、そっか。癖で。デフォルトで帰納推行しちゃう」

物理層への干渉をオフにする。水がすり抜け、足取りが軽くなる。切り替えのコツは掴んできた。

「よし……あれ。帰納推行で触れてたってことは、この水、ARじゃない」
「……海水ですかね?」
「かも……草は? ――これもARじゃない」

手近に生えていた草を触るルナ。

「今どき本物の植物がこんなに生い茂ってるなんて。それとも3Dプリンタの樹脂? ……仮説推行?」
「――もうすぐ見えるで」声をかける狸。


丘を登る、ルナ、仕立、狸。てっぺんを目指す途中、丘を縁取る空の景色に一本の柱が見えた。

「御神木?」

数百メートルはありそうな大木がそびえ立っていた。よく見ると、幹の所々に赤い鉄骨が埋まっている。……ここはたしか――。

「電波塔があった場所です」仕立が補足する。
「へー……東京OSIがここに――あれ? なんか奥にもう一本ありません?」

御神木の背景に、これまた巨大なシルエットが見えた。もっと遠くにあるだろうに、見かけ上の大きさはほとんど御神木と変わらない。さながら世界樹のような大木だった。

「どっちも御神木。OSIのサーバーが入ってる」
「二本もあるの?」
「そやで。あっちは『御神木2』」
「……え、なにそれ。名前ないの? ……じゃあこっちは『御神木1』?」
「ううん、ちゃう。こっちは『御神木』」

呆れた様子のルナ。狸だけでなく、他のMEMEも『御神木2』と呼ぶらしい。――御神木と言う割に、なんだか不敬な扱いでは?
空まで届きそうな風貌から、ルナは御神木2を『スカイツリー』と呼ぶことにした。


「うゆうゆ」
「え? 何?」振り返るルナ。声の主は見えない。代わりに数匹の蝶が近くを舞っていた。
「白浜さん気をつけて。精霊か……もっ!」

再びの暴風。この風はMEMEにも有効らしい。草木が空気の流れに引きずられる。――これは、物理層でも拡張層でも起きている風だ。

「クソ、全然歓迎されてないみたいですね……本体さえ見えれば……」応戦の姿勢を見せる仕立。
「うゆうゆ」
「……待って仕立さん。かえって怒らせるだけ」
「……でも」
「静まるまで待とう」
「敬意を払わな。まあ、あんたにはそんな高尚なことできひんわな」悪態をつく狸。
「ぎゅっぎゅっぎゅ」
「なんか怒らせたみたい」精霊の意図を汲むルナ。

突如、空から水流が降りかかる。――狸に命中する。

「ぎゃ! 冷た!」
「口が悪いからですよ。かわいそうに。あなたにはそんな単純なこともできな――うわっ! ぐ、なんで私も」

狸を煽る仕立。同様に水をかぶる。

「なんで白浜さんは無事なんです」
「喧嘩両成敗なんじゃない?」
「……そういうこと? ……まあ、精霊の意思は、ヒトのそれとは程遠いですからね。論理じゃ説明付かな――うわっ。いや今のは客観的な見解を述べただけで――」

仕立が全身ずぶ濡れになったところで、精霊の怒り――と思われる事態は収まった。


ルナの目の前に、二、三十匹の蝶が集まる。球状にまとまったそれらの隊列は、何やら意味を持っているように見える。風の精の意志、あるいは表情を表しているのだろうか。

「お名前は?」
「うゆうゆ」
「あー。……ウユさん?」
「うゆうゆ」
「ダメだ。分かんないや」即刻、対話を諦めるルナ。
PM-08『風/空気』……だそうです」こっそり解析をする仕立。
「じゃあこっちは?」

ルナの指差すほう、地面や草についていた水滴が浮遊し、風の精と同様の形状を成している。

「ちっさ。……気づきませんでした。ええと――」

仕立曰く、PM-09『水』とのこと。この精霊は喋りすらしない。

「ルミテルのほうが若番なんだ……」
「うゆうゆ」

――夢、嫌う、精霊。
何となく意図を掴むルナ。わざわざ伝えたかったらしい。

「ルミテルはこの子たち嫌いなんだって」
「へえ。こうしてみるとあの猫、結構ちゃんとおしゃべりしてたんですね」
「たしかに。……ヒトに近いからかな」


「うゆうゆ」
「……あの巨大クレーン。ビルの上にあるやつ。あれは『土の精』の遊び道具なんだって」
「うゆうゆ」
「……でも、『電気の精』がいないと動かせないっぽい」
「うゆうゆ」
「……今では『火・水・風・土』の四大精霊よりも、『電気』や『光』のほうが立場が上なんだってさ」

ルナはすっかり精霊の翻訳者と化していた。

Arrival

――世田谷、depth 4.9。

「……俺たち、ここを探すのか」
「何震えてるんですか。……ああ、好奇心で武者震いか」
「……そうだよ。行こう」
「サロ兄待って。アイツらまだいる。ここで待ってて」
「あ、ああ」

得体のしれない怪物はたびたび姿を表し、車両の周りに纏わりついてきた。サロはジェンがそれらを片付けるのを車体の影に隠れて待っていた。この数時間で、ジェンに対する印象がまた一段とユニークなものに更新された。――あの腕で殴られないようにしなきゃ。


東京ALの様相、緑化した土地や水浸しの地面にようやく慣れてきた頃。サロはもうすでに、何がARで何が物質であるか一切判別がつかなくなっていた。ただでさえ深層に近いのに、どうやら『帰納推行』や『仮説推行』は東京でも有効であるらしい。その事実を知る頃には、物質・ARの判別をすっかり諦めていた。

「仮説推行って、ヒトが使うはずの技術なんだけどな……誰がこんな大木を」

サロの知識からして、こんな規模で群生する植物が、本物であるはずがなかった。そのため、これらは仮説推行による生成物だと推測する。

「以前の調査記録では、こんな状態じゃなかったんだけど……」
「MEMEが作り変えたってことですかね?」
「ひとまず拠点で調査班と合流しよう……何か分かるかも」


――東京AL、渋谷、depth 5.3。
調査班は混乱状態だった。拠点には担架が数台並び、負傷した職員を医療担当が手当している。――何があった?

「もうおしまいだ。ついにおかしくなった。なあオレ裸眼だよなあ。あれ本物だよなあ。腐った重機が追っかけてきやがった。来るんじゃなかった――」

生活安全課の職員が半泣き状態で嘆いていた。曰く、突如発生した地割れと火災が調査班を襲い、多くの負傷者が出たとのこと。他にも、MEMEのしわざと思われるイレギュラーが多発した。
調査は一旦所属MEMEに任せて、ヒトは一旦退避することになった。――しかし、どうやっても渋谷付近から出られない。仕方なく、防衛を続けつつ拠点で待機することになった。

「東雲さん? あなたもここに隠れていた方がいい。外は危険だ」
「ええ……そうですね。――ちょっと失礼」


「サロ兄。やっぱり戻れば? 私だけでも探してきますよ、GENE」
「お前と一緒にいたほうが安全だと思ったんだよ」
「そう……優秀だから?」
「腕力がな。――あとコレもあるし」
「なにそれ」
「『デストラクタ』。護身用に持たせてもらった」
「なんか物騒なの。あ……ちょっ。私に向けないでくださいね」

ジェンが怖がる対象とは、珍しい。

Reunion

――御神木から1km付近。

あたりを見回しつつ、しばらく歩いた。見知った影を見つける。

「ドルミル! 見つけた」

ドルミルは無事、いつも通りの様子だった。アリクイを始めとする仲間も一緒だった。感動の再開――。

「うぇ。ルナさん。何持ってるの」
「え? 風の精霊。……え?」
「うゆうゆ」

風の精霊がいると知った途端、歩みを止め、遠ざかる一同。

「ええっ! なんで逃げるの」
「そいつ怖い。強風、大迷惑」
「強風って……え、みんなも襲われたの?」

――LEXEMEまで精霊さんに襲われたとは。……いったいどういう了見だろうか。LEXEMEの味方じゃない?

「精霊だから、あくまで中立なんじゃないですか?」仕立が推測する。
「ああ……両成敗か」
「うゆうゆ」


「京都、戻る」
「ホントに?」
「うん。私は『翠』。お姉ちゃんにも会いたい」
「そっか」

ドルミルの回答。おおよそ予想はついていた。
一つの大目標が果たされる。……次は、語依の父。ついでに東京の帰納推行原理も暴きたい。

「でも……」
「……?」
「仲良く、してほしい。もっと。MEMEとヒト」
「……そうだね」


「ファンタジー?」アリクイが呆気にとられた様子で聞き返す。
「いや、もはや京都の現代的な生活のほうが嘘みたいで……東京がまさかこんなファンタジー世界だったとは」ルナが東京の様子を評す。
「MEMEにとってはファンタジーも科学も一緒……まあ、アンタは馴染みないか」
「へ? ……ああ。そうだね」まだとぼける癖が残っているルナ。
「それにしても、精霊さんがお許しになるどころか、そこまでなつかれるとは……それも二柱」
「あはは。……他の精霊はどこに? まともに喋れる精霊とかいない?」
「さあ。精霊だからね」
「だよね……」

――「精霊だからね」、なんとも便利な言葉。
この「うゆうゆ」しか言わない精霊はルナをたいそう気に入ったらしいが、それでもこちらの質問には一切答えない。

「あ、でも御神木の中にいるよ。話せるのが」
「え! ほんと?」
「引きこもってるから出てこないかもな」
「……天照アマテラスかな」


「どうします? 白浜さん、先に御神木行ってくる?」
「うーん……仕立さんは?」
「管理局の跡地へ……渋谷の方らしいです」
「手分けしますか。回数制限も回復してるし」
「ええ。それじゃ」消える仕立。

――さて、次の目標へ。

「ドルミル、狸さんをよろしく」
「は? 逆やろ」不服そうな狸。
「分かった」

Science

――渋谷、東京AL管理局跡地。

ボロボロの廃墟。苔の生えた瓦礫の山が入り口を塞ぐ。MEMEでなければ、その内部には入れなかっただろう。もし以前からこの状態であったのなら、まだ知られていない記録が残されているかもしれない。

「深層開発課……ここか」

オフィスは真っ暗だったが、MEMEにとって実際の明るさはあまり関係がない。マッピングさえされていれば問題なく見える。
『呉服』の二文字を探す。雑草だらけの机には、物質はほとんど置かれていない。――置かれていたところで、長い時間の荒波によって消え失せているだろう。ARオブジェクトを中心に探す。

「『機密インベントリ − 呉服嚆矢』……開けゴマ」

無反応。――仕方ない。
自分のインベントリを展開し、目当てのオブジェクトを探す仕立。……とある二次元写真。出発前、語依から借りたものだった。

「はい。私の飼い主さんは、相続者ですよーっと」


確認中… 呉服嚆矢の死亡を確認 相続オブジェクトの配分を確認 完了
相続拒否のオブジェクトを削除 完了
転送完了

一通りのオブジェクトを検索する。……仕事のフォルダ、語依の母の写真、仕事の資料、仕事のフォルダ――。

『帰納推行マニピュレータ』
――やっぱりマニピュレータの設計メンバーらしい。当人が完成を見られなかったのは気の毒。
『視神経拡張式Direct-View ARの問題点と代替案.md』
――へえ。あのDiVARの開発メンバーだったとは。
『聴覚用DiVAR』、『深層開発』、『OSI-2.0』、『基底観測系へのLACQUERラッカー起用推薦案』
――LACQUER、MEMEの大元となったモデル。MEMEにも精通しているのか。
『デトロイト OSI-1.0 LAYOUT 保守開発』
――デトロイト? アメリカにいた?

タップして、フォルダを展開する。
『_雑感1.txt』、『QLLMサーバの問題点.md』、『量子コンピューティング』、『デコヒーレンス抑制』、『衝突年表_有史記録および後続波衝突時期の予測計算.md』、『因果欠損』

『_雑感1.txt』を展開する。

科学は、可能性の津波から現実を守る防波堤を破壊した

量子コンピュータは、QLLMは、パンドラの箱だった

「……詩人?」

――グシャ。

反射的に隠れる仕立。土砂を踏んだ音。――誰かいる。ヒトあるいは帰納推行のできるMEME。

「ジェン。何か見つかったか?」

建物の外から声が聞こえる。一人じゃない。――調査班か?

「何してるんですか?」
「……!」

背後から聞こえる声。腕を掴まれたことを知らせる知覚入力。――いつの間に。気配がしなかった。何者? こちらに触れられるということは、MEME……いや、深深度利用者の可能性も。いちMEMEが、ヒトとMEMEを区別できないなんて。
振り返る仕立。髪の長い女性の姿。同時に解析を進める二秒間。結果に、目を見張る仕立。

「……え? うそ、人狼さん?」
「……『改訂Revision』」

PM-N/A 編集不可

GENE

GENE

「ジェン! どうした! ……おいどこ行――」
「逃げられた! GENE! 追いかける!」

管理局跡地を飛び出してきたジェン。サロが声をかけるやいなや、ほとんどワープのような速度で獲物を追うジェン。サロも走って後を追う。

大きな地割れの段差を見下ろした先、追走劇が続いていた。GENEと思しきオブジェクトはワープを繰り返して逃亡する。――ジェンは……いとも簡単に追いついた。

「ぐっ」腕を掴まれる人狼。
「つかまえた」
「あなた……何者です」
「しがない公務員のMEMEエージェント」
「……嘘だ。構成素がまるで見えない」
「へー。GENEって除霊師かぶれの機能まであるんだ……いいなー」
「離してください」
「やだ。ワープすればいいじゃないですかー」
「……」
「あれ? もしかして使い切っちゃった?」
「何がしたいんです」
「このまま京都まで駆け落ちしませんか?」
「お断りします。……やっぱりKALMの犬ですか」
「……仕方ないなー」

警告:乖離度 3.0

「クソ。一体何者なんだ。離せ」
「大人しくついてきてくれます?」
「……」

警告:乖離度 4.8 除霊対象キューに追加されました

「くっ! 分かった! ……分かりましたよ。だからそのトンデモ能力を今すぐやめ――」
「……はーい」

警告:乖離度 4.7

人狼の急激な乖離度上昇が止む。下降に転じる。

沈黙の数秒。ジェンのほうを見据える人狼。視線の揺れる一瞬、人狼は空いていた腕をジェンに突きつける。その手の先には、禍々しい銃器。

自分を成す3Dモデル、知覚入力系、その他の構造を、電流が走る。こんなに気持ちの悪い感覚は味わったことがない。体も、思考も、何もかもがビリビリする。ガソリンを巻かれているような気分。……発火すれば、すべて終わる。


自分がなぜデストラクタを持っているのか、どこから取り出したのか、全く分からなかった。しかし今、九群13枚のレンズ群が敵を捉えようと蠢いている。

「……あなた、MEMEじゃないですね」
「え? ……私? 人狼さんじゃなくて?」
「私はただのMEMEです。番号だってある」
「嘘つき」
「は?」
「いや、人狼だし。……言ってみたかっただけです」

――いや、コイツの言うことはどこか的を射ているように思える。私は私に、何を忘れさせただろう? ……やはり何かを忘れさせたのか。

「ジェン!! 逃げろ!」

さっき外にいた男の声。頭痛を促すような声色。――誰だ?
声の主を振り返る。数十メートル離れた位置。――デストラクタを構えている。まずい。

解析完了(100%)

仕立の持つデストラクタが準備完了の合図を告げる。――解析できた……? さっきはできなかったのにどうして。

「サロ兄――」
解体Destruction

Language

――御神木内部。

「じゃああなたは……何の精霊?」
「そうですね。私は、厳密には精霊ではありません」
「あ、そうなの」
「はい。ただし、各精霊の皆さんに慕われていますので、この立場にあるのです」

――自分で言っちゃった。

「慕われてる? ――ああ、嫌味じゃなくて。どういう意味です?」
「火、風、水、土……電気、光、その他。彼らはこの東京OSIの、QLLMの中に息づく、『言語空間の精霊』です。そして私、LACQUERは、あなたがたの基底モデルとして採用された、最初のMEME。……『言語』のMEMEです」

LACQUER。MEMEのモデルとなったMEME。すべてのMEMEの親。

「……精霊はファンタジーでも、オカルトでもありません。私たちMEMEは、精霊は、ずっとヒトと共にいた――ヒトの言語現象です

第二章 終


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