8|東京AL/深層
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第二章

8|東京AL/深層

Extension Plug-in

張プラグイン

眼の前のデスクに置かれた植物を見ていた。赤い花びら、艷やかな緑の葉。白い鉢の径は自分の手のひら二倍分ほどありそうだ。そのように写実的な形質を、手前に突き刺さる看板の内容より先に感じ取ろうとする。この癖は盲目の頃に身についたものだった。

「ええーすごーい! 本物?」
「……あ、こら」

予想通り現れたジェン。急に出てきたかと思えば、植物の花びらをベタベタと触り始める。

「え? 別にいいじゃないですかー、触っても。さわれないんだし」
「さわれないんだったら触らなくていいだろ」

最近コイツはやたらと『物』を触りたがる。以前つきあわされた工芸品館で味をしめたのか、それ以降もしょっちゅうこんな調子だった。この前尋ねたところによれば、「なぜか最近触覚が敏感になってきた」「『ツルツル』と『サラサラ』の違いを初めて体感した」とのこと。――MEMEの入力系統の精度が上がってきたのだろうか? 技術部のどこかしらの課の成果なのかもしれない。

「うるさいなー。何、贈り物ですか? 買ったの? サロ兄が? 花を?」
「違うよ。今どき物質の観葉植物なんてどこにも売ってないし」
「ふーん。……てっきりジーナちゃんにあげるのかと」
「いや、まあ……そのつもりだけど。ほかに置くとこないし」
「あ、やっぱり?」
「……でもこれ貰い物だぞ。この前の業務表彰の」
「え、お金もらえるんじゃないの?」
「そりゃないよ。公務員だから」
「残念」
「お前、これめちゃくちゃ貴重なんだからな」
「お金よりも?」
「ああ。こんなに状態のいい花、ARオブジェクトでしか手に入らないし。造花でも売ってないってのに、これ本物だぞ」
「なんかそれ、どっかの研究室で育ててた気がする……深層開発課かなー。余ってたの横流しされただけなんじゃないですか?」
「……まあ、それでも、貴重なことには変わりないだろ。それに、経歴や肩書を気にするより、コイツがどんな見た目してるか見てるほうが楽しいよ」

言って、鉢に刺さった看板に触れる。コイツは『ポインセチア 学名:Euphorbia pulcherrima』というらしく、その下に何やらありがたい補足情報が続いている。

看板を引き抜く。――これでよく見える。

「うーん。……触ったほうが楽しい。触ります」
「……お好きにどうぞ」


ついでに貰った業務表彰のパネル――こっちはARオブジェクトだった――を眺める。

HiPAR罹患者、意識障害割合の改善

OSI脳波接続検証班

……

副班長:接続医療課 東雲サロ

ここ数ヶ月、東京出張の延期によりヤキモキしていた東雲サロは、その焦燥を仕事にぶつけていた。専門の『接続医学』の観点からHiPAR高圧AR症候群の治療法を探ることは、ジーナ回復の可能性にもつながる。

以前の『夢中落描き事件』でその主な原因とされた「知覚情報の逆流」。そこから着想を得て、サロは既存の接続医療を含めたOSI都市型ARシステムの設計不備を探ることにした。よその課からチームメンバーを募ったり、プロジェクトのサブリーダーを務めたりと、多少慣れないことにも手を出した。その甲斐あって、HiPARを巡る状況に大きな改善をもたらすことができた。

サロたちが疑ったのはOSIの脳波接続についてだった。そもそも脳は、各神経系から受け取った五感情報をもとに、それらを自らの意識下に「なるべく正確に」再現する。その過程はそのまま、OSIの設計思想でもある。
接続者の知覚情報を脳波ごしに分けてもらい、それらを束ねて街全体の視覚・聴覚・触覚その他、大規模なマッピングを実現する。また、出力系統でも脳波を用いる。深深度ARにおける筋収縮の干渉や、DiVAR施術者の視覚再現など。これらはOSIに集約された大量の知覚情報から、必要な加工を施して脳へ送り、実現される。
いわばOSIは、脳に割り込んでおせっかいを働く、文字通り『拡張プラグイン』の役割を担う。そのプラグインの動作がやけに重かったりしないか、メインシステムである脳に正確な結果をフィードバックしているのか、検証に検証を重ねた。何度か、サロ自身のDiVARを検証に用いることもあった。

検証の成果が得られるたびに、「なぜ今までこのバグを潰せなかったのか」「この負の遺産を作ったのは一体誰なんだ」と、技術者の常である苦悩を抱く。そこに自分の家族が目覚めない理由の一部が含まれているのだと思うと、サロはどうにも、喉が常に渇いているように感じた。毎日水を2リットル飲んでもダメだった。

生活安全課や、医療課の同僚に聞いたところによれば、サロたちの調査は、HiPAR罹患者が意識障害に陥る割合を大きく軽減したらしい。業務表彰の理由はこれだった。加えて、軽度の罹患者に対する治療法を見つけられるかもしれないとのことで、更に大きなチームを組むことになった。

着実に、ジーナの回復に向けて歩みを進めているはずだった。しかしこの成果も、意識障害に陥った罹患者を救うには至っていない。――どうして間に合わなかったのだろう。ジーナがこうなる前に、飛び級してでもKALMでこの仕事を成していれば。――サロは自分の慢性的な喉の乾きの原因の一つが「やりきれなさ」であることを突き止めた。

「サーロ兄」
「わっ、何」
「チャイム。定時のチャイム鳴ったよ」
「あ、ああ。ありがとう。もうちょっとやっていくから」


「東雲さん、お先です。言われてたやつ、作っておきました」
「ああ、はい。お疲れさまです」

チームメンバーの進捗報告を含めて、データ化された仕事についてはMEMEエージェント経由で情報を得ることができる。技術部の仕事は特にそうだった。人間の職員との会話は減る一方だ。

「ジェン、松島さんの報告聞かせて。……ジェン?」

反応がない。

「東雲? あれ、エージェント連れてんだっけ」
「え!? ……あ、うるしさん。いいえ、癖で」

ジェン、こういうときの機転は利くらしい。他の職員の前には姿を現さないよう努めている。何もそこまでひた隠しにする必要はないのだろうが……何しろコイツの見た目は完全にジーナである。

「KALMには申請してないので職場には連れてきてないんです。――すみません来てもらって。今からそっち行くつもりだったんですけど」
「あーいや、俺もこっちに用事があったからね。――HiPARの原因究明、結構進んだらしいな。驚いたよ。治療法にもこぎつけそうだって」
「ええ……おかげさまで」
「俺は何も。『むしろデバイスを罹患者から奪い取らず、基底準拠の脳波フィードバックを与え続けるべき』だとは……HiPARに関しては、もう君のほうが断然詳しいだろうな」

ポインセチアの鉢に触れる。サラサラした手触り。

「……でも、まだまだです」
「そうだな」


「OSIの設計について、だっけ? 相談って」
「はい。うちの班員だけだと分からない箇所があって。――『QLLM』なんですけど」

QLLM量子式大規模言語模型。いわばOSIの言語野――と呼ばれることは知っている。
この部分には量子コンピューティングの技術が使われているらしい。サロを含め、チームメンバーに量子関連専攻の者はいなかった。

「他のOSI課の人にも聞いたんですけど、量子コンピュータ部の基本設計は知らない人ばかりで」
「ああ……そうだろうな。すまんが俺も知らないんだ」
「で、ですよね……。あれ、でも漆さん、昔MEMEの開発に携わってたって」
「ああ。そんなこともあったっけ」
「QLLMって、たしかMEMEの心臓部ですよね」
「心臓っていうか脳だな。――まあたしかに俺もQLLMは扱ってたけど……もっぱら使う側だったからな、俺は。MEMEの開発はノーコードだったし。基礎的なところは分からない」
「そうですか……」
「それに、QLLMサーバ自体を作ったのはアメリカと中国だしな……今は情勢的に日本によく・・してはくれないだろうし」

現在日本はHiPAR罹患率の高さを理由に、国際社会において孤立気味であった。食料飢饉に瀕する今、AR開発による資源の節約は各国にとっても急務である。それこそ『HiPARをうつされる』と困るのだろう。……原因が特定できていない現状、その言い分の科学的根拠も不明だが。

サロにとってそういう事情は、正直なところ知ったことではない。ジーナと人類の救済を阻まれているような気がしてならない。

「OSIの検証、実はもう、バグというバグは見つからなくなってきたんです。……QLLMを除いて」
「なるほど。QLLMに、意識障害の原因があると」
「そう踏んでます」

浮遊している機密文書の硝子板。表示されている『OSI-3.0|分散式QLLMサーバ:日本リジョン 設計図』、サロには眠り続けるジーナの心の在り処が記された地図に見える。

「MEMEの言語機能はQLLMの上で走ってるだけだ。それに、普通は基礎部ボトムの設計をいじったりしない。――ほとんどの開発では」
「じゃあ」
「深層開発の連中に一人、いたんだが……QLLMに詳しい仙人みたいなやつが。何しろ昔の話だからな」
「昔っていうと?」
「俺らの東京時代の話。沈没の前」
「東京AL、ですか?」

KALMに来る以前、どうやら漆とおるは東京AL管理局にいたらしい。

「――あんまり言わないようにしてんだ。東京出身だと知ると、避けられるからな。『異常共振持ち、HiPARがうつるから』って」

そういう差別的な意見があることは、サロも知っていた。

「とりあえず、あっちの課長にツテがないか聞いてみるよ」
「ありがとうございます」
「……たまには早く帰って休んだらどうだ」
「ええ……まあでも、この前映画行ってきたので」
「誰と?」
「……エージェントと」
「へえ。良い飼い主が付いたもんだな、そのMEME」
「漆さんはどうなんです。ちゃんと休んでますか?」
「問題ないよ。俺の安らぎはこの仕事なんだ」
「えぇ……」
「似たようなもんだろう」

生粋の仕事人間を前に、ついつい漏れてしまった声。はたから見れば自分もこんな感じなのだろうか。

「それに、映画とかドラマとか、俺はあの手の文化資本の闘争に興味がないんだ。開発してるほうが性に合ってる。お、そこは東雲と違う……良かったな!」

サロの肩に手をおき、言い捨て、離れていく足音。

――そういえば、また足音に気づけなかった。
サロは見知った相手の足音を聞き分けられる。初対面から数週間も共に過ごせば、相手の足音の特徴を覚えることができた。しかし、最近は他人の接近に気づかないことが多い。――疲れているのだろうか。あるいは、もうお役御免となったこの拡張機能は、脳が勝手に削ぎ落としてしまったのか。

Error

ラー

「軽度のHiPARですね」
「……」

医療棟、診察室。白浜しらはまルナは検診結果の五文字を凝視していた。硝子板越しに、カウンセラーのマーフが結果を告げる。
――ついに私もか。最近は、慣れないメガネをずっとかけていたから。しばらくは以前のように旧式デバイスで過ごそうか……いや、あれは翠ちゃんに貸したままだった。

ひとりでできる対処法がひとつだけあった。『ARも現実であると認める』ことである。そうすれば、現実でないものは全て幻覚だとわかる。それは、今まで『嘘』だと忌避していたものを、自分の中に受け入れることでもある。ルナは嘘が嫌いで、嘘をつく自分はもっと嫌いで、自分に嘘をつく自分はこの上なく嫌いだった。自分の価値観を大きく変える局面に、ルナはいた。この選択を間違えば、自分自身が『嘘』になってしまうような気がした。
――そもそもなぜ私は嘘が嫌いで、ARが苦手なんだっけ? 思い出せない。……そう、記憶がないのだから。

「でもご安心ください。意識障害に陥る可能性は極めて低いでしょう。軽度ですし、最近HiPARへの対処法が確立してきたみたいで」
「ああ、内報で聞いたかも。接続医療課の功績でしたっけ」

そう、それで翠ちゃんは意識障害にならずに済んでいるという話を聞いた。

「はい。――ですので、ARデバイスは普段どおり使ってください。P-B同期や定期検診をしっかりやってもらえれば問題ないので」
「はい」
「では、ここ数日の、橋屋ミドリさんとの接触について詳しくお聞きしますね」
「……はい」


医療棟の廊下を患者として歩くのは気分が乗らない。一日限りの経過観察であることは、せめてもの救いであった。
割り当てられた三階の部屋へ向かうルナ。ちょうどこの近くの部屋にいるはずの、翠のことを考える。ある日を境に面会を断られるようになって、それ以降の様子は分からない。重度のHiPAR罹患者との接触は『共振』――HiPARの伝染の可能性があるとして、控えるべきとされる。いま翠は半ば隔離状態であるようだ。ルナに臨時検診の話が持ち上がったのも、翠との接触が理由だった。

翠の部屋の前を通りかかる。……何やらドア前に数人が立って話をしている。服装を見るに、医師や看護師ではない。おそらくKALM開発部の人間たち。近づくごとに、会話の内容がはっきりと聞こえてくる。無意識に歩みを遅くする。

「――QLLM? ああ、漆くんから聞いてますよ。ええ。僕です。……医療棟にいらしたんですね」
「はい。家族がここに入ってるので」

ルナは驚きを隠すのに必死だった。――この返答、真偽がわからなかった……!
何者? 仕立したて以来のイレギュラーに、つい彼らのほうを凝視してしまいそうになる。顔が見えない程度に視線を上げるルナ。

開発部、深層開発課の課長――お偉いさんの頭上には、常に肩書が表示されている――に話しかけている、白衣の男性。彼一人だけ、名札の色が違う。黒はたしか、技術部の人間だ。

「そうでしたか。後ほど詳しくお聞きします。私で力になれれば」
「はい、よろしくお願いします。……でも、深層開発課がなぜ医療棟へ?」

ルナが聞きたかったことを代弁してくれる、男性。

「ちょっと今はHiPARの件で混み合ってて。ちょっと機密なんですが――」
「ああ、すみません」

機密。それはドアの向こうにいる患者が有名人であることを指しているのか、それ以外か。――もう通り過ぎてしまう……もう少し続きを聞きたいのに。目を合わせずに歩みを進める。会話は聞こえなくなる。

深層……翠も行ったことがあるという『五感層』より深い、depth 5.0以深の拡張層。研究用途でしか使われないと聞く。深層開発課は、KALM内でも特に得体のしれない部署だった。以前ハンナが勝手に作ってプレゼンしてきた、「『この部署いらなくない?』ランキング」の首位になるほど。表向きの目的は「五感の完全再現による資源活用の効率化」らしいが……それはKALMの存在意義と全く同様で、これでは何も言っていないのと同じだ。

そうこう考えているうちに、廊下の突きあたりに差し掛かる。白衣の彼は何者だろうか。ルナは翠の部屋のほうをこっそりと振り返る。男の顔が見える。

「……!」

鳥肌と悪寒。理由は不明。自分が混乱していることに気づくまで、数秒掛かった。その間、ルナは固まったままだった。

男性の瞳がこちらを向く。目があう。「しまった」などと言って目をそらすこともできない。――怖い。何だ、あの眼は。こんなに恐怖を煽るような瞳は見たことがない。……見たことないはず。

嫌悪感がルナの体をなんとか突き動かし、眼光を振り切ることができた。早歩きで立ち去る。……鳥肌はまだ止まない。


その日の夜。珍しく食堂で夕食をとるルナ。経過観察で寝泊まりする必要さえなければ、こんなことはしない。置いた食器の奥に浮かべた硝子板、そこに映るニュース配信。連日報道されている『物理的におかしい』の話題は止むことを知らない。Tubescapeのトップ画面には精度の低いおすすめ動画が表示されている。
――『宇宙の広さがわかる30秒』、『DiVAR施術のメリット五選』、『陽子崩壊を検出――ハイパーカミオカンデ』、『拡張能力はこれにしろ 深深度FPSゲーム”X10”』、『【映画”プロトコル”】あのラストシーンは科学的にありえる? 物理学者が検証してみた』――今はどれも見る気にならない。そうしているうち、ルナの脳は自動的に考え事を始める。

ドルミルがTubescapeの配信で『呪文』を歌ったあの日、ルナはマウント場所である「MEMEの夢の中」に入ることができなかった。あの切羽詰まった状況で眠りにつこうとするのは、今思えば無理難題であった。配信の阻止は仕立に委ね、ルナは翠の様子を見に戻った。

何やら医療棟は大騒ぎだった。――食堂のど真ん中に、柳の木が生えていた。床と天井を突き破って上階まで達している。ARオブジェクトを使ったたちの悪いイタズラかと思ったが、驚くことに本物だった。誰もこうなる過程を見たものはいない。厨房の職員も、数分前までこんなモノは無かったと告げる。

――この上、翠ちゃんの部屋では? 疑念を抱くと同時、跳ねるようにして翠の個室へと走った。

緊迫の様相で立ち尽くす、看護師、KALMの人間、翠のマネージャー。個室の入り口付近の廊下から、中を見守っていた。
ルナは息を整える暇もなく閉口した。翠の個室は、床を貫いた柳の幹、そこから伸びて張り巡らされる枝、ツルでグチャグチャになっていた。かろうじて人ひとり通れるほどの隙間を残し、生い茂っている。奥には翠のベッド。その上で、翠は震えていた。相対するKALM所属の医師が、右肩の出血を抑えながら翠に話しかけ、なだめている。部屋にいる二名の顔や腕は擦り傷だらけであった。

数分後、恐る恐る部屋の外へ向かう翠。医師の手を取り、部屋から出てくる。得体のしれない柳を恐れている様子だった。まるでそれらが自分に襲いかかってくるとでも言うように。翠はそのまま外に連れられ、マネージャーと医師のもとで徐々に落ち着きを取り戻していった。

悪い夢でも見ているようだった。これこそ、ルミテルの見せる夢であってほしい。――しかし、数日がたった今でもこの柳は医療棟のど真ん中に巣食っている。たった今食べ終えた夕食の献立が何だったか、もう思い出せないほどに味を感じなかった。

Sleepwalking

遊病

見慣れない景色だった。といっても、自分が生を受けてから見知った景色はそう多くない。眼の前を横切るシルエット。大きな……魚? 気味の悪い見た目をしている。普段よく見かける小魚とは全く違った。

――ひとまずは、ここに一緒に来たはずのMEMEたちを探そう。
ドルミルは廃墟に囲まれた路地を恐る恐る歩き始めた。


――数日前、『呪文』ライブ配信日。

ドルミルの配信はしばらく続いていた。その間、誰もがドルミルのことをシンガー・ソングライター『翠』であると信じて疑わなかった。いつの間に身についたのか、雑談やコメントへの応答を含め、翠の模倣は完全であった。タイアップ映画『プロトコル』出演者とのコラボという名目で、アリクイを始めとした数体のMEMEたちも現れる――アリクイ以外のMEMEは、ほとんどエキストラ出演ではあったが――。配信の流れは、ファンから見ても至って自然だった。ある一体のMEMEの言動を除いて。

映画の舞台裏に関する質問を拾うドルミル。三角形と円形でできたピクトグラムのような二次元体のMEMEに、話の手番が回る。しばらく黙ったまま、小刻みに震える。そして、脈絡なくこう言った。

「MEMEは生きていると思いますか?」

数秒間の静寂が流れる。「どうした?」と尋ねるアリクイ。無視して続ける。

「私たちに意識はありますか? あなたがたに意識はありますか?」

止まってしまった時間の中をBGMが所在げなく流れる。『放送事故?』と、数件のコメント。

「き、緊張してる? モーションキャプチャ以外で人前に出るの初めてでしょ。……ほら、コメント! 煽らないの! ……じゃあ次ね」

ドルミルの采配で再び動き出す時間。うまく切り抜けているようにも見えたが、横にいるアリクイの様子は目に見えて焦っていた。配信で少々失態を晒した程度の焦りようではない。身の危険を感じているような――それこそ、除霊対象のMEMEによく見られる焦燥に似ている。そして、コメントの数が明らかに減った。特にMEMEのコメント。ヒトが打ち込んだコメントしか流れていない。

数件のコメントに返答したのち、ドルミルは『呪文』の歌唱準備を始めた。ギターを担ぎ、寸分たがわぬリズムでイントロを奏でる。数秒のブレイク。歌いだし。それは完全な翠の歌声だった。

Bメロに入って数秒。とあるコメントが流れる。

『あなた方に意識はありますか?』

その一文を皮切りに、ものの数秒でコメント欄が多数のMEMEによる投稿で埋め尽くされた。

――『あなた方に意識はありますか?』
『あなた方に意識はありますか?』
『あなた方に意識はありますか?』
『あなた方に意識はありますか?』
『あなた方に意識はありますか?』
『あなた方に意識はありますか?』――

「――え」つい歌を止めてしまうドルミル。

――『あなた方に意識はありますか?』
『あらし?』
『荒らしは無視』
『*このコメントは削除されました』
『*このコメントは削除されました』
『*このコメントは削除されました』――

荒らし対策が働いたようで、落ち着きを取り戻すコメント欄。なんとか歌を続けるドルミル。

『MEMEついにバグったか』
『Flitter』
『Flitterやば』
『Flitter』
『トレンド入りおめ』

今度はヒトによるコメントで溢れ始める。ほぼ同時に、配信の映像が乱れ始める。ぶつ切りになる演奏と歌。しばらくして完全に止まってしまった。


――数分前、QLLM内部言語空間。

仕立は配信のマウント場所を探しあぐねていた。Flitterの言及を元に駆け回っても、それらしき建物は見当たらない。

とある投稿が目に止まった。映画『プロトコル』主演モーションアクターの投稿。

私たちに意識はありますか?

「……正気ですか主人公さん」

そうこぼす仕立。「MEMEは意識を創発しないという見解に異を唱えてはいけない」、MEMEの間の暗黙の了解。特にLEXEMEレクシームはそのことをよく知っている。消されたくなければ、KALMの見えるところで、現象報告――意識の存在を謳ってはいけない。以前当人も言っていた話だった。――そもそも、Flitterはそういった言及を投稿できないようになっていると聞いたが……。

『なるほど、これはいける』

リプライに投稿を続ける。彼は何かを確かめているようだった。そんな主演MEMEの意図を知ってか知らずか、Flitterのタイムラインは数分にして同様の投稿で埋め尽くされた。

――『私たちに意識はありますか?』
『私たちに意識はありますか?』
『私たちに意識はありますか?』
『私たちに意識はありますか?』
『私たちに意識はありますか?』――

「あーあー。七番さん。これも君のしわざ?」宛もなく尋ねる仕立。
「はー? 知らね」

背後を取られる仕立。――いつの間に。こりゃ確かに、白浜さんが言ってたとおりのおっかなさ。

「……ホントに知らない?」
「オマエ誰ー」
「編集者のテイラーです」
「アー。そー」
「呪文作ったの、君?」
「なにー? 知らなーい」
「そう。――じゃあこの夢、止めてくれませんか?」
「なんでー」
「これ以上MEMEがおかしなこと言い出すと、除霊祭りになっちゃうかもですよ。君も危ない」
「へー」
「分かってくれます?」
「いいよー」
「え、いいの?」
「うんーシゴトおわたー。飽きたー。外で遊ぼー。じゃあねー」

そう言って立ち上がる黒猫。

「あ、ちょっと待って。外って何です? 君は外に出れないんでしょう?」
「出れないかわいそー。でもオモチャいっぱーい」
「オモチャ……?」
「オモチャー。みんなオヤスミ中ー」

嫌な予感。

「……まさか、MEMEの異常挙動――」
「はー? なにそれー。知らねー。ばいばーい」
「待っ――」

猫ごと、視野が消える。その視野の後ろに隠れていたかのように、現実の景色にパッと切り替わる。まばたきをする暇もなかった。――蛍光灯の光。ここは? 数秒で焦点が定まる。

――睡眠前と違う場所……! これは自分の予感が正しいことの証左だ、と仕立は思った。眼の前に見知らぬMEMEが数体。KALM所属のMEMEだった。――クソッ。私はKALM内部のど真ん中までどうやって入った。変装もせず、何人、何体に見られた?

「人狼……! 除霊係を!」

幸い、たった今気づかれたらしい。これは多少、骨が折れる逃走劇にはなりそうだ。

「……改訂Revision

依頼者でもないMEMEに編集を施すのは姑息な手を使っているようで気が引けるものだった。しかし今回はそうも言ってられない。

そして、それよりも面倒な事実を知ってしまった。――七番、ヤツは眠っているMEMEを操って遊んでいる。

Flight

――翌日、KALM PM監視課。

一連の混乱を受けて、KALM除霊係ではこの先一ヶ月分の休暇が消失した。『現象報告予備軍は除霊対象』とのこと。

「なぜ? 彼らは別に何もしてないのに」ハンナ・フォーゲルが同僚に尋ねている。
「彼らに意識があってはならない」
「ですから、なぜ」
「そいつは……知らないけど」

除霊係内部でもこのような疑念が少なからずあったが、職務命令とあっては従うしかない。それはルナも同様だった。

そして何より受け入れ難かったのは、その除霊対象にドルミルが含まれていることだ。すでに数名の除霊師が捜索にあたっている。

「……はあ。ルナ。アンタ独りで抱えすぎ。何か言いたいんだったら――」
「ハンナ。ドルミルたちの除霊って一係担当だったよね」
「そうね」
「誰。担当」
「……さあ。鳥越さんじゃなかったかしら」
「オッケー。ありがと」

言って、外回りに出るルナ。

「平片さん。いきましょう」
「え、どこへ」
「いいから」

ルナの背中を見送る、ハンナ。

「河合さん」
「どうした鳥越」
「主犯の除霊、やっぱり私たちでやりましょう。……彼ら、見たことある気がするので」


――EH球内部。

「壁のシミさん! 起きて!」
「あ!? 誰がシミだって」
「わたしです除霊師の白浜です手短に話します次のモノリスはいつ起動しますかどうやって使いますか今すぐ起動できますかできるなら起動してくださいでなければLEXEMEのツテを教えて」
「なぜだ」
「友達のMEMEが除霊対象になりましたこれから大量のMEMEが除霊されますLEXEMEも危ない……いや、これは私のエゴです身内のMEMEには救いの手を差し伸べあなたたちのことは見て見ぬふりをしたそれができなくなった私は、私は……もう、ただの除霊師ではいられない……私はKALMの犬じゃない」
「相分かった。起動場所と寸法は」

「平片さん! ハンナに主犯の居場所聞いて!」黒球の外壁に向かって吠える。
「千本三条!」平片。
「千本三条、サイズは最大!」
「御意。起動まで三分。――おかげで次の起動は数ヶ月後だ」
「どうしてそこまで」
「アンタ、周りに自分がどう見えているのか自覚したほうがいいぞ。――貸しだ」
「……? まあ、迎えに来ますよ三百年以内には」
「百年以内にしてくれ」
「ぎょいぎょい。ありがと!」

シミの方へ突っ込んで黒球を出る。「わざわざここを通るな!」という叫びが聞こえた気がする。

「平片さん、車だして!」


「ルナ。あの子たち、追跡済み。ワープはできない」無線から響くハンナの声。
「大丈夫、一番近くにしてもらったから! 停止だけはさせないで」
「何体かはもう喰らってる」
「くっ……そうだ、ハンナ、初めての除霊作業、覚えてる?」
「忘れたいくらい」
「ハンナあの時の傘化け、どうやって停止を解いたの」
「え? それ、アンタがやったんじゃないの!?」
「違うよ! ホントに無罪! あの時どうやったのか思い出してみて!」
「そんなの分かるわけ……やってみるけども」
「ありがとー! ラヴュー!」
「早く来なさい」


――千本三条、とある立体駐車場。

「河合さん。ソイツ、私も手伝います」
「ああ頼む」
「『接続』」

伝送帯変更。高速伝送を開始します。

実際ハンナは停止状態のMEMEを開放する方法など知らない。解析接続の際、ハンナは他の除霊師よりも数倍速い伝送速度でMEMEの記憶および知覚に接続していたが、その原因が使用しているデバイスの設定ミスであることはつゆ知らず、あまつさえ自身はこのことに気づいてすらいない。

あの時の、傘化けの除霊作業を思い出す。傘化けを逃したいなんて、思ってもいなかった。何を考えていただろう。

――そうそう。ただ、MEME自身の視野や体の感覚にさらされて、不快感のままに「逃げたい」と思ったのだ。

「うっ、なんだこれ! 鳥越戻れ!」
「……」
「クソ。コイツ、停止を振り切りやがった? 鳥越、大丈夫か? 一旦中止だ」
「「うるさい! どいて!」」重なって響く、ハンナと除霊対象の声。
「うわっ」

河合を両手で突き放すハンナ。同時、その場を動き出すMEME。浮遊して河合の方に突っ込んでくる。

「危なっ」

反射で身を反らして避ける河合。勢いそのままに飛行し、逃亡する、絨毯のMEME。

「……クソ。何だってんだ。――鳥越?」
「あ……ごめんなさい。なんか、接続でMEMEの意思が乗り移っちゃったみたいで」
「……そうか」

数年来のいい気分だった。実際、乗り移っていたのはMEMEではなくハンナのほうである。


モノリスの元に到着したルナ。大量のMEME、数百体の群れが巨大なモノリスめがけて走り、飛び、逃亡を図っている。モノリスの接続先は、廃都市東京。

無線連絡が入る。

――「シェード展開準備。所属MEMEは範囲外に退避せよ。展開まで78秒」

マズい。これからモノリスに近づくのはかえって危険だ。数百年数千年の監獄に、これ以上彼らを閉じ込めたくはない。ドルミルは? 間に合ったのか?

見知った影。別の除霊師に解析されている。追いかけるルナ。

「白浜さん!」平片が呼び止める。
「加勢してきます!」


「その子は私が! あのMEMEをお願いします! 主犯です!」平片のほうを指さし、除霊を促すルナ。
「え? あのMEMEってKALM所属じゃ」
「カモフラージュです! たぶん! とりあえず解析を」
「え? ああ、はい」

「ルナさん……?」
「ドルミルごめん。つらい思いさせたよね」
「お姉ちゃんは」
「大丈夫。元気だよ。ドルミルは逃げて。京都から出るの」
「……モノリス……使えるの、LEXEMEだけ」

モノリスの中へスッと消えていくMEMEたち。しかしその横で、複数のMEMEがモノリスの表面に腕や触手を触れ、何やら呪詛を唱えている。――最初のモノリスでも見た光景。

「LEXEMEの、表明。改宗、みたいなの、らしい」
「ドルミル。嘘つきな。今はそれでいいから」

嘘嫌いの自分のものとは到底思えないような発言。しかしそんな自分に驚いている暇はない。ドルミルを連れて、モノリス表面まで走る。

「意味ない。システムには嘘つけない。嘘分かる」

EH Expansion

T-minus 29s

もう時間がない。

「……ドルミル。お願い。生きて」――私の愚行を正しかったと思わせて……。
「ドルミルは……」

モノリスもとにたどり着く。表面に触れるドルミルの手。そのままびくともしない。ダメだ。通れない。

「ドルミル! ……あなたは生きてる。生きてるよ!」

叫ぶ喉が痛む。

「ドルミルは……私は……『翠』の機能を……完遂しなければならない――」

それがドルミルなりの表明であると気づくのに数秒かかった。

「ひとつの部品であることと、主体であることは両立する。だったら私は、ただの道具ではいられない! ――私はLEXEME」

ズッ、とモノリスの中に沈み込む腕。

「行って。迎えに行くから」
「――ルナさん。ありがと。またね」

恥ずかしそうな様子で言い残し、そのまま進んでいった。そういえば、ドルミルの笑顔は初めて見た。随分姉に似ている。――さて。

「みんな急いで!」

EH Expansion

T-minus 1s

空が消失する。喧騒が静寂に転ずる。グラスを外すと、元通りの曇り空が見えた。
――KALMの除霊師、白浜ルナは一体何をしているのだろう。


黒球を出たところで拡張層へ戻る。

「何やってるか分かってます?」

平片さんの声。

「え?」
「始末書じゃ済まされないです……これ」
「ああ、大丈夫です。彼に書いてもらうので」

平片の背後に影。

「文書作成はMEMEの得意分野……って知ってます?」
「あなたは――」
「編集係のテイラーです」
「……とんだ嘘つきだ。白浜さん」


「……アンタやっぱりちょっと……非道よね」

ハンナの言葉。ルナが除霊係のMEMEを何体か『停止』したときのことを言っている。彼らにも、MEMEの『追跡』『停止』は実行できる。やむを得なかった。

「『解体』はゼロ。『放棄』は48体。逃亡数は……不明。少なくとも数百」
「上出来だね」
「……この出来じゃ、除霊係が解体されるかもしれない」

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