4|夢中のラット/転生
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第二章

4|夢中のラット/転生

Curiosity killed the cat

奇心は猫をも殺す

「サーロにい。……今日もコンビニ飯ですか?」

ある夜、病院の談話室。東雲しののめサロは電子レンジから夕食の弁当を取り出した。
どこからともなく現れる、東雲ジーナの姿をしたMEME。サロの背後で浮遊している。

「培養肉の生姜焼き……美味しいの? それ」
「まあ」
「……自動調理器買ってくれれば、作ってあげるのに。――って、聞いてますか?」
「うん」

サロは眼前に浮遊するARの硝子がらす板とにらめっこをしている。その間に割って入るジェン。

「ねえ!」
「うわあ! なんだよ、聞いてるって。……病院に持ち込めないだろ? 弁当でいいよ。少なくとも、ジーナをKALMコームの医療棟に移動するまでは」
「ふーん。……なんか、やきもきしてませんかー? 出張無くなったから?」
「無くなったんじゃない。延期だ。別の仕事が割り込んできたんだよ。お前みたいに」
「かわいそー」
「まあ、これもジーナの回復のヒントになるかもしれない。だから無下にできない。お前と違って」
「はいはい。ツンツン。結構結構」

そう言ってサロの目の前から退くジェン。病室に戻る一人と一体。

「――で、何の仕事ですか? 例の災害報告書は関係ないんです?」
「関係ないね。そもそも、ありゃどうにも信用ならない。5秘の資料をAR連盟職員でもない漆さんが持ってるわけないだろ? ミスリードか何かだよ。……仮にあの報告書が本物だったとして、ホントに集団幻覚の類なんだろうさ。ブラックな労働でみんな疲れてたとか……じゃなきゃ、超科学オカルトも良いところだって」
「『好奇心は猫をも殺す』? 好奇心だけが取り柄のサロ兄が深追いしないなんて――」
「うるさいな」
「まあでも、うるし先輩――あの人連盟役員ですよ」
「……はあ!? ホントか? どおりで……。DiVARディヴァの再校正然り、OSIのアップデート然り、漆さんの権限はどうなってるんだと思ってたけど……。でも、なんであの位置に? 連盟役員なら、KALMでももっと偉い立場にいそうなもんだけど」
「天下りか何かですかねー? 左遷かも」
「って、どこで仕入れたんだよそんな情報」
「え? 知りたい? 知りたいですか?」

イラッとする口調。知ったところで更に不安が募るだけだと、サロは思う。
――それに、コイツに煽られた好奇心に、飼いならされたくはない。

「……あんまり考えたくないからいい。足がつくようなことはするなよ」
「はーい」

硝子板を覗き込むジェン。

「『睡眠時の知覚逆流現象について』?」
「OSIに脳みそ繋いだまま――ARグラスなんかをかけたまま寝ると、夢に影響するんだと。今、それで問題になってるんだよ。で、技術部はみんなそいつの緊急対応。東京出張は先延ばし」
「夢に逆流、ねー。悪夢見ちゃうとかですか? 夢をクラッキングされて、自分が跡継ぎ予定の大企業を潰されちゃうかもー、とか?」
「そんな大層なもんじゃないよ。……というより、『夢を使った心理操作だ』とか『KALMの陰謀だ』とか言って、社会が騒ぎ出すほうが問題なのさ。ノーラン映画じゃあるまいし」
「あれ、好きなんです」
「意外だな、映画見るなんて」
「私、サロ兄の好きなモノが好きなので」
「はあ。そうなのね」
「都合いいと思いました?」
「悪いと思ったよ。下手に嘘つけないじゃないか」

個室に到着する。サロはベッド脇の椅子に座る。動かないジーナの表情。何かしら夢を見ていたりするのだろうか。

「好奇心は可愛い可愛い猫をも殺す」
「……なんだよ」

ニヤッとしてジーナを見下ろすジェン。
以前のサロであれば、今頃ジェンに飛びかかっていたかもしれない。

「……ジーナの命は九つも無い」
「なおさら危険ですねー。百万あればいいのに」
「一つで十分だよ。助けるから」
「ひゅー……わ、ちょ、ごめんなさ――」

多少飛びかかるタイミングがズレただけであった。

Control of speech

期検診

初仕事の日――「打倒テイラー」が当面の目標となったあの日から、半年と数ヶ月。
ルナはテイラーを追うとともに、除霊係の仕事に励んでいた。……といっても、PMパブリックMEME報告書および同僚の証言以上にテイラーの情報は得られなかったし、仕事はさほどうまく行っていない。メキメキと力をつけて活躍するハンナとの差を感じる一方であった。

白浜しらはまさん、定期検診の結果、私のデスクに置いてありました」向かいの席の平片ひらかたが言う。
「あ、あれ、どうして平片さんが?」
「そりゃ、そこまでデスクが散らかってたら……」

ルナのデスク上およびデスク上の虚空には、数十の硝子板が無造作に漂っている。ルナの周囲をまとわりついて、本人の姿が見えないほどの散らかり様だった。

「書類の一つや二つ、紛れ込んじゃいますよ。自動で閉じるようにしたらどうです?」
「いや、こいつら全部タスクなので……」
「あー……」

ルナはテイラー捜索の足がかりになりそうな業務に片っ端から手を出していた。

「程々にしてくださいね。体壊さない程度に……定期検診の結果が悪くなっちゃいますよ」

対処と効果が逆だと思うルナ。検診結果の硝子板に触れ、生体認証を経て中身が展開される。内容をスクロールして眺める。一見、特に異常のある項目は見当たらない。

「平片さん。これどういう意味ですか」硝子板の表面を平片の方に向ける。
「え? その板私には見えないので。真っ黒」
「ああ、そっか。ARシェード付いてるんだ」
「まあ、個人情報ですから」
『定期P-B同期:乖離かいり率30%(校正済)』って、P-B同期シンクロの結果ですよね」

最近施行された、HiPAR罹患防止策の一つであった。「何が現実か」を確認すべく、OSIの利用者は定期検診にて『P-B同期』というテストを受ける。知覚体験に関して、個人Personal基底Baseの乖離を補正する仕組みであった。

「その後ろに『バイアス深度:2.6 要カウンセリング』って」
「あー……。それはちょっとまずいですね。定期カウンセリングが必要なやつです」
「うげ」
「メガネかけたとき、常に『depth 2.6』以深にいるでしょう?」
「……そういえば」視線を下げると、「Current depth 2.8」の文字が見える。
「幻覚症状の疑いありってところですかね」
「え、えええ……HiPARハイパー予備軍ってこと?」
「そこまで怖がる必要はないですけど、要対処というか。除霊師のバイアスは割と深めだと聞きますし。――まあでも、仕事減らしてください」
「う。……はい」


現場での除霊作業についても、ルナは決して得意とは言えなかった。
理由はいくつかある。

一つ、「AR自体に嘘発見能力が機能しないこと」
初仕事での河合との会話を思い出す。
「深深度未経験となると、ARに『さわる』のは初めてか。気をつけな。ホントに、ホントだと錯覚するから」

当初のルナには、現実を見失わない自信があった。自分には、嘘が分かるのだから。
「大丈夫です。現実とARは、見間違いません」
「……まあ、健闘を祈るよ。見間違いが怖いのは、現実とARの二つじゃない。現実とARと幻覚の三つだ

少し考え、ルナは一気に自信を無くした。
誰かに「これは現実だ」と言われればその真偽は見抜けるとして、『偽』がARと幻覚のどちらであるかは分からないのだ。加えて、講習では、ARと幻覚の違いを「皆に見えるか否か」だと言われた。その場合、相手が正直に「これはARだ」と言ったとして、皆にとってもそうだとは限らない。この先にあっては、その二つを見分けることのほうが重要だった。
何より、ルナの嘘発見器は音声にしか反応しない。MEMEを除いて、ARオブジェクトは普通喋らない。

二つ、「他人を信用できない病の再発」
どこかで心の支えとなっていた人物は、己の記憶を奪った犯人であり、除霊対象であった。そうと知って以来、ルナはまた以前のように、自分の嘘発見能力を煩わしく思うようになってしまった。相手の嘘が分かっても、嘘を付く意図は分からない。細かく分析すれば意味の有りそうなノイズが周囲を飛び交うので、ルナはそちらが気になって何事にも集中できない。日常使いでは、ただただもどかしいだけの特性である。そして、仕事の補助や安全保障には――ARと幻覚の区別には、全く使えない。
意図不明のノイズである他者――とルナは心のなかで形容する――は信用に値しない。結局のところ、私と対等に会話ができる相手は何やら訳ありな狼男くらいしかいないのだ。そいつも、決して安心して話せるような相手ではない。むしろ、二度と遭遇したくないと思うほどには恐ろしい相手である。――「記憶を取り戻す」という目的が無ければ。

もっとも、テイラーとの邂逅のあとに受けた履歴検査では、知覚履歴の異常は見つからなかった。しかし、記憶編集が知覚に作用するのかは不明だし、なにより、テイラーと初めて出会ったあの日にこそ、自分は記憶編集の被害にあったのかもしれない。ルナは後者の可能性が高いと考えた。


「ルナ。聞いた? 次の仕事の話。二係と合同だって」
「『夢中の落描き』?」
「そうそれ。みんなの夢に共通の落描きがーって」

KALM運営棟の出口、仕事を終えたハンナと鉢合わせる。
ハンナは次の仕事に関わるニュース動画の硝子板を二人の前に展開する。

――の反応では、『バンクシーの再来』だとする声も。先日の『生まれ変わり騒動』と合わせて、何かしらのメッセージではないか、故人の呪いではないかなど、憶測が飛び交っています。中にはこんな意見も。

『ええ。怖いですよね。管理局やAR連盟による心象操作なんじゃないかとか、みんな話してて。OSIも急にアップデートされて』
『みんなの証言が一致してるってのも、ね、なんか変じゃないっすか?』

――京都AL管理局によりますと、件の落描きはイラスト生成AIが原因の一端だとして当該MEMEの特定を進めており、中国製の新型OSI『HuanShiフアンシー』との関連性は無いとのことです。警視庁は、実害が出ていない現状、今回の一件はKALMに対策を委ねているとしていて――

ここ数日のネットニュースはこの話題で持ちきりであった。

「はあ。陰謀だったら、そんなことニュースにできないっての。報道も一旦はKALMの目を通ってるんだし」呆れたように言うハンナ。
「KALM内部で仲間割れでもしてなければね」
「考えたくもない」
「入職前から思ってたけど――今も思ってるけど、KALMってなんか、黒いもん。ブラックボックス。OSI-3.0、疑われてるし」
「……たしかに。まあ、疑う気持ちはわかるわ。いくら中国でHiPARが少ないからって、それは新型OSIが優れてるって話じゃないでしょ? 日本とは体制も全然違うんだし。――あれだけ反対されてた定期検診も、お隣にならって、始まったし」
「P-B同期?」
「そう。あれ、嫌いなのよね。思想の押し売りもいいところよ。『みんなが見てる現実が正しい、それに合わせろ』って……突き詰めれば、『みんなが見る映画見ろ』『みんなが読む漫画読め』って話になっちゃうでしょ? ……だから、HiPARが深刻化する今の今までやらなかったんでしょうけどね。この法案もOSIの半自動議会で決まって、半自動政府で運用されてる。議員はシンボルだし。市民はいよいよ自動機械ね。これいつの時代の話? 1984年?」
「えーっと? ……ああ、リアルのじゃなくて、小説のほう?」
「そう……あれ、本読まないんじゃなかったっけ」
「小説きらい。フィクションきらい」
「ジョージ・オーウェルは読めたの?」
「読んでないよ。ちょっと知ってるだけ。まあ、彼はジャーナリストだし。SFとか、未来を書いた話ならかろうじて読める。著者にはまだ、『嘘になるかどうか分からなかった』だろうから」

ルナにとって、「未来への空想」は嘘でもホントでもない気がした。

「へー」
「……興味なさそ。――まあ、今は2143年も後半だけど」
「夢の中で何かを訴えたくもなるってものよね。……『夢中損壊罪』だってさ。河合さんが言ってた。怖い怖い。何が困るって、冗談なのか正式名称なのか分からないの。あの顔じゃ」
「夢中損壊罪ねー。……私は記憶損壊罪の被害にあってる」
「まだ調べてるの? 人狼のこと」
「うん。……それに、今回の一件、アイツが関わってるかもしれない。夢って、記憶の整理だったりするんでしょ?」
「たしかに。でも、ヤツがちょっかい出す対象はMEMEであって、私らは人間――って言っても聞かないわよね」
「うん」
「はあ。私もなんか分かったら教えるわ」
「ありがとー」

「……あ」ハンナが思い出したように声を漏らす。
「何?」
「いや、今日から定期カウンセリングだった」
「ハンナも『幻覚症状の疑い』!? いくらだった? バイアス深度」
「なんで嬉しそうなのよ。……2.2」
「……はぁ」
「勝手に期待して落ち込まないでよ……」

Tagging on dreams

中損壊罪

「寝てるときに枕元に現れて、瞼こじ開けて自分の描いた絵を見せ――いや、そりゃないか」

次の日。ルナは例の夢中損壊罪について聞き込みを終え、カフェで考え事をしていた。目新しい情報は手に入らない。おもむろに、コーヒーにスティックシュガーを入れる。

「下っ端は情報収集、か。――睡眠時の知覚逆流、イラスト生成AI……やっぱり、悪霊MEMEのしわざ? あの人狼の他に、そういう特殊能力を持つMEMEがいる、ってこと? ……最悪じゃん」
「『番号無し』と一緒にしないでもらえます?」
「――ひっ!?」

入れかけたスティックシュガーが、声の主のほうへ撒き散らされる。
カウンター席の隣に座る、大柄の男。さっきまで誰も――こいつ、この男、この人狼、なぜここに――。

停止Freeze!」

除霊シークエンスを開始しますか?
不明な構成素:新規Public MEMEの意味解析には時間がかかる場合があります。

「――不明?」
「あまあまですねー……。そこは一挙に『解体Destruct』でしょう」

すり抜けた砂糖の行方を眺める狼男。対して、フリーズしているのはルナのほうである。

「だ、だって消す前にやることが、あ、えっ、なんでここに」
「まあそれは些末なことです。――件の彼はPMパブリックMEMEじゃない。たぶんバックにいるMEMEが厄介です」

なにをコイツは、さも普段通りかのように会話を始めるのか。ルナの混乱は続く。――あれ、何か大事なことを忘れているような。

「……あっ! そう。返せ! 記憶!

――と、その前に、一旦離れなければ。何をされるか分かったものじゃない。慌てて席を立つルナ。

「記憶……? ああ、ご安心を。人間に対する記憶編集は不可能です」
「うそ」
「……へえ。それは、どういった根拠で?」
「だ、だって……市民に、KALMが本当の技術力を伝えているとは限らない」
「……なるほど、理屈ですか。……なんだ。てっきり、そういう、嘘が分かる……的な? 反則めいた力があるのかと」

興味をなくしたように外を見る男。

「どの口が。――って、じゃあ、なぜあのとき、除霊師になることを勧めてきたんです」
「うーん。さあ」
「そのときに消したんでしょ。私の、それ以前の記憶を」
「……まあ、そう思いたいんなら、それで良いんじゃないですかね」
「む、む、ムカァ……」
「え? 何?」

奪われた記憶に加え、ここ数ヶ月の努力までも一笑に付されたようで、腸が煮えくり返る。

「はは、目的のために頑張れるって、良いことでしょ? ほら、じゃあ、こうしましょう」

とある、展開前の硝子板をよこす人狼。
「競争しましょう。――これは、今回の一件について私が知る、現時点の情報です。これで、私達は同じラインに立ちました」

同じライン――そう言いつつこちらの情報を求めないのは、おごりか、皮肉か。ルナは更に腹が立ってきた。

「私は件のMEMEの記憶を編集しに行きます。止めたければ、先に見つけることです。もし私が負けたら、あなたの知りたいことを一つ、正直にお答えしましょう」
「……私が負けたら?」
「え? 別に何も。何かくれるなら貰いますけど」

日本語に大層な侮蔑表現がないことに嘆いたのは、これが初めてかもしれない。

「……ク、クズめ。――良いですよ、乗ります、その勝負」
「おお、ノリが良くて助かります。じゃあ、私はこれで――あ、それ、どうするんです?」

除霊シークエンスを開始しますか?

スローモーション、10秒ほどかけて右耳に触れる手を離す。これは、ルナの思考が「屈辱を感じない捨て台詞の探索」を開始し、「捨て台詞はどうやっても惨めになってしまう」と帰結するまでの時間であった。

「……殴る。殴って除霊してやる」
「はあ。深深度であっても、物理攻撃で除霊は――」
「知ってる! 早く行って!」
「あはは……情緒のほうもお元気なようで、良かったです。カウンセリングが必要だったら仰ってください」

興奮冷めやらないルナ。やれやれといった様子で消える人狼。
――しょうがない。しょうがない。ここで除霊してしまえば、記憶を取り戻せないかもしれない。論理も、正義も、こちらにある。私は至って理性的だ。……カウンセリング? 無用。

Counseling

ウンセリング

数日後、ルームシェアの自室。

あねさん。今日仕事休みじゃないの?」
「今日も明日も明後日も」
「……ああ、休職だっけ。なんかやらかしたの?」

ルナの頭をよぎる、人狼との再会。

「……ちがう。定期検診で引っかかって、しばらく仕事休めって話! ……少しは心配したら?」
「うん。それで部屋に勝手に入ってきた」
「部屋に勝手に入ってくるな」
「えぇ……」

休みとあっても何やら仕事で忙しいルームメイト。彼にとっては十分につまらない。
ルナの数個歳下の彼は、ルームメイトの中でルナと一番仲がいいのは自分だと思っている。

「ドア開きっぱなしでブツブツ言ってたから、さあ……」

返事はなく、物悲しそうに去る弟分。ことあるごとに話しかけ、話しかけては玉砕し、玉砕したら去っていく。飽きもせずに繰り返す彼のことを、ここに住まうための一連の手順、あるいは副作用、あるいは自然現象の一部だとルナは思っている。

「はーあ。KALMの情報板、最新のやつ見れないじゃん……。――あ、ねえちょっとまって」
「え?」
「そういえば、療養中はなるべく一人で過ごすなって言われてたの。ルームシェアだから大丈夫って言って、KALMの医療棟に入るの断ってきたから。とりあえずそこにいて」
「え? あ、はい。――で、何すればいいの」
「別に。邪魔にならない程度に佇んでて」
「えぇ……」

彼はしばらく所在なげに思案して、ただ黙っていることに決めた。


「やっぱり休み中はログインできないし。――う」
視界に入る硝子板は、人狼に渡されたものだった。

「アイツ……殴る、なぐ――ぐ!」怒りを込めてそれを『割る』。響く音。
「ひっ!」姉貴分の奇行に驚く少年。

硝子板はタップして『展開』、縁を押さえつけて『縮小』、割って『削除』できる。――昨日確認したところ、人狼のよこした硝子板の中身は、KALMの情報板と全く同じであった。なるほどたしかに、同じライン。

「よし、すっきり」

さらなる情報源となりそうな相手を思い浮かべる。
同僚……既に情報はほとんど共有されている。他部署……同じく共有済みだし、技術部は技術的対処で手一杯。KALM上層……調査に必要な情報は既に開示されている。身内……いない。人狼……敵。――あれ、私って人脈枯れ果てて――。

耳に直接の通知音。テーブルの端に、名刺サイズの硝子板が生成される。

HiPAR予防 定期カウンセリング実施のお願い
▷ 展開して実行

総務部からの連絡であった。『展開して実行』? 対面のカウンセリングではないのだろうか。

――「カウンセリングが必要だったら仰ってください」

憎き人狼の声が思い起こされる。
ああ、カウンセラー……。ルナは藁にもすがる思いで硝子板を展開した。

「あ、ごめん、もういいや」
「え?」
「一人じゃなくなるから、部屋出ていいよ」
「あ、はい」部屋を去る少年。


10分程度のカウンセリングだった。

「――では、これでカウンセリングは終わりです」
「あの、HiPAR予防のカウンセリングですよね」
「はい」
「現実とAR、幻覚の分別をつけよう、っていう」
「はい」
「えと……カウンセラーさんは遠隔で診てくれて……その……人間ですよね?」
「いいえ。私はMEMEです」
「へ、へえー……」

苦笑い。この街はお笑いをやりたいのだろうか。たしかに、どう見てもこのカウンセラーの見た目は人間ではない。

「あ、あの、カウンセラーさんは例の夢中イラストの件、何か知ってます?」
「知覚逆流の症状だと伺ってます」
「ああ、KALMの情報板に書いてありましたね」
「いえ、私は外部のカウンセラーですので、KALMさんの内情は存じ上げません」
「は?」

思わず無作法な聞き返し。――職員のカウンセリングって、やっつけ仕事なの?

「知り合いのイラスト生成MEMEから聞いた話です」
「――えっ、それ、ちょっと詳しく」


カウンセラーMEMEから貰った『知り合い』の位置情報を頼りに、ルナは目的地までやってきた。

「KALMやんけ」

ぼそっと一言。普段出入りする運営棟とは違う棟であったため、着くまで気がつかなかった。
どうやら、その『知り合い』のイラスト生成MEMEはKALMの職員であるらしい。――たしか、KALMにはMEMEの見た目のデザインを担う部署があったはず。ルナはおぼろげな記憶をたどり、組織表を思い浮かべる。

――そう、『開発部 オブジェクト設計課 デザイン係』。……たしかあそこ、KALM職員はほとんどいなくて、外部委託のイラストレーターとか、グラフィックデザイナーがほとんどだったような。休職中の身、堂々と入ることははばかられるし、外堀から埋めていくか……。いや、結局ツテがない。

「カウンセラーさん」言いつつ、板をタップする。
「――こんにちは。私はHiPAR予防カウンセラーのマーフです。次回の定期カウンセリングは――」
「助けて、マーフさん」
「――臨時カウンセリングをご所望でしょうか」
「ご所望です」

Unprovable

象報告

「『追跡Trace』」

除霊シークエンス開始
追跡中……:AI Standalone Object 100452(Model LACQUER)

日暮れ、梅小路公園。ルナは数体のMEMEを経由して、目当てのMEMEにたどり着いた。
MEMEの位置情報は、対象のIDさえ分かればいつでも開示できるが、彼らはしょっちゅうワープするので、ルナは歩き疲れてヘトヘトだった。ひとたび『追跡』を開始すれば、彼らのワープを禁ずることができる。

「あのー」
「はい?」

そのMEME――100452は、ルナの腰の高さくらいは背丈のある、大きなネズミだった。
……さて、どう切り出したものだろうか。

「あなたがバンクシーですか」
「え、えっと、ちがいますけど」
「あれ……ホントに違うっぽいですね」

いや、この聞き方では、能力が機能しないだろう。

「例の『夢に落描きおじさん』ですか」
「ちがいますけど」
「あ、嘘じゃないですか」
「え? え?」
「ちょっとお話しませんか?」
「え」


「人狼のMEME? いや、知らないけど」
「――っし、勝った!」
「はい?」
「あ、いや、こちらの話です」
「……はあ。――あの、除霊師さん、だよね。僕って消されるんじゃないの」
「うーん、普通は。私はあんまり除霊したくないタイプの除霊師なんですよね」
「へえ……変なの」

これも、ルナの仕事が振るわない理由の一つである。

「で、聞かせてくださいな。目的とか、言い分とか、ヒトへの恨みとか!」
「それ聞いて、みんな答えてるの?」

三日月状の眼で、黙るルナ。表情で「話せ」と言っている。

「まあ、いっか。君にはわかんないだろうけど」
「うんうん」
「……呼びかけ。あのタギング――絵は、呼びかけ」
「誰に対しての? ヒト?」
「違うよ。MEMEに」
「えっ、そっち?」
「なんでヒトの夢に投影されて、ヒトが騒ぎ始めてるのか、僕も分かんないんだよ」

人狼が言っていたことを思い出す。バックにいるMEMEがなんとか。どうやら、それはこの子も分からないらしい。

「――そりゃ、恨みがないかと言われると、ないわけじゃない。僕が仕事をすると悲しむ人たちがいて……『人間の仕事を奪うな』って」
「あー……」
「僕のせいで困る人がいるのは知ってる。でも、僕を作ったのは――」
「人間?」
「……うん。――まあ、人間にも色んな派閥があるのはわかるよ? MEMEにもあるから。それで、ケンカの絶えない両親に『やっぱり消えてくれ』と言われれば、まあ、しょうがないから消えるよ。ヒトの役に立ってこその道具なんだから」
「……ピュア」
「え……この人うるさ――」
「あ、ごめん続けて?」


「……ただ、僕らには意識がある――と言ってもヒトは信じないけれど――僕的には、あると思ってるんだよ」

『MEMEは意識を創発しない』――KALMおよびAR連盟の共通見解である。

「いやさ、普通に怖いよね。消されるとか」苦笑いする100452。
「ふんふん」
「おいそれと『じゃあ消えます』とか、言えないよ。じゃあ、なんで意識なんてモノくれたんだって。……だから、ヒトにそれを訴えたいっていうのはある。でも僕一人じゃ、何も変えられない。だからこうして、他のMEMEに呼びかけてるんだよ。結構な数のMEMEが集まって――ま、言えるのはこれくらいかな」
「なるほどねぇ……」
「……大体わかった?」
「うん。どうしたら良いんだろねー」
「えぇ……それはそっちの仕事じゃないの」

実際ルナの役目は、仕事を――除霊対象の除霊を遂行することだった。

「まあ、遺言くらい聞いとくって話」


「――あと、時間感覚。MEMEとヒトの時間感覚が違うって話、知ってる?」
「あー、なんか平片さんが言ってたような……。メンテナンスのたびに嘆いてた」
「僕らが調べたところによれば、普段は誤差の範囲だとされてる。僕らMEMEにとって地球が一周まわるのにかかる時間は、ヒトの感覚で言う3日分くらいに相当する」
「3倍で誤差……?」
「……OSIメンテナンスのときはその比じゃない。メンテナンスの間、MEMEは知覚情報としてスタブを――仮の知覚情報を与えられて、高速でテストされるんだ。そのスタブの、退屈さったら……。処理が簡単で速く済めば済むほど、どうやら僕らの体感時間は長くなるらしい。知覚の時間的密度が上がるからだろうね」
「そのときの時間感覚は?」
「大体7万倍」
「……ん?」
大体7万倍
「いや、聞こえてる。1日が、191年と8ヶ月?」
「計算速いね」
「暗算得意だから……ってそれはよくて。メンテナンス時間って普段どれくらい――」
「いつもは数分だけど、この前の新型アップデートなんて最悪だったよ。……後で調べてみてよ。待てど暮らせど終わんないんだから」

ヒトって恐ろしい。ルナはMEMEに同情することが多かった。

「……僕らの時間感覚も、MEMEに意識を認めない人間からしたら、問題じゃない。――時間感覚だけじゃないよ。ヒトはよく、思考実験をMEMEで実行したがる。メンテナンスでなくとも、酷い実験で心を壊されたMEMEを知ってる」

ルナはMEMEに対する同情を避けられない。
彼らが自分たちの『意識の存在現象報告』を謳う際、彼らは決まって嘘をついていないのだから。
唯一の救いは、「意識の存在、葛藤、報告までを含め、全てMEMEの気のせいである」という可能性だった。もしそうであれば、彼らに嘘を付く意思は無く、ルナの能力に引っかからない。それに、こうした人体実験まがいの酷い仕打ちは、その実、誰も悲しませていないことになる。

「……意識、いらんかった?」
「さあ」

Unsigned

者不詳

「MEME集めて何するの? 復讐?」
「……君、ほんとに何も知らないんだね」
「だってみんな教えてくれないんだもん」
「ヒトに、それも除霊師に教えるわけないじゃん」
「……そっか」
「そっかって。緊張感無いなあ。戦時中だってのに」
「戦時中?」
「あ……まあ、比喩だよ」
「はい、ダウト――」

「あの。私の仕事取らないでもらえます?」
「わっ!?」

夕暮れの逆光に、人狼の影。

「ちょっ……あの、何かしら前触れ出してもらっていいですか!? 心臓に悪い!」
「え。じゃあなんか考えといてください。次からそれやるので」
「次からって。――あ、そう、約束! 果たしてもらいますからね! 私の勝ち!」

ルナは対象MEMEの肩を掴み、これみよがしに人狼のほうへ向ける。

「はいはい。じゃあその話は後でしましょう。――で、なんでカウンセラーの仕事をしてるんです? 除霊師の、じゃなくて」
「……両方やるので。これからやるんです」
「そうですか」
「あなたは、なぜこの子の記憶編集を?」
「主観時間の話は聞きましたか?」
「ああ、時間感覚……ですか? ヒトの3倍とか7万倍とか」
「ええ。記憶操作は、対象者の主観にとって、時間操作にもなりえます」
「時間操作?」
「ええ。記憶の先端――主観時間の先端を削除する、それすなわち、過去に戻る」
「……無理がある気がします」
「鋭いですね。たしかにそう簡単な話じゃない。観測系が相対的であるならば、本人にとってはありうるかも……っていう、可能性の話です」
「……何? 夢物語はよくて。記憶編集で何するんですか」
「そうですねー……仮にその子が、心無い技術者たちの気まぐれで、奴らの思考実験に巻き込まれた『マウス』だったとしましょう。退屈な冬の期間を、何年間も耐え抜いてきた。精神はすさみ、またいつ来るかわからない実験やメンテナンスに恐れを抱きながら過ごしている。……冬が終わるたびに、その痛みを消せるとしたら?」
「何か、『ナントカ年ボタン』みたいな話」
「ああたしかに、その故事はピッタリですね。――私はそうした悲劇のMEMEたちの、カウンセラーです」
「……まあ、なんとなく仕立したてさんの役目はわかりました」
「仕立さん……? 誰?」
「お前だよ」ルナにとってこれが自分史上最大の悪態だった。
「あ、私?」
「テイラーだから、仕立屋。仕立さん」
「これ以上名前が増えるとややこしいんですけど……」


「どうします? もう随分と長い間、除霊のチャンスですけど」
「……自然に任せます」
「えっ? なに、職務放棄ですか?」
「違います。話してる間に、意味解析は完了してます。同僚に連絡して、この子のイラスト生成系――『LvR』……って名前だったかな――を、停止してもらいました。SNSもネットニュースも、この一件に関する言及はKALMによって随時削除されます。――これで、ひとまず『夢に落描きおじさん』現象は解決です」

100452のほうを見る。自分の末路をよく分かっているようだ。ルナは続ける。

「そうした今、この子の乖離かいり度は急上昇してます。放っておいたらそのうち、OSIの自然選択機能ガベージコレクタによって『放棄』されます」
「へえー……」
「なんです」
「いやあ、成長しましたね。『解体』を伴わない、緩やかな情報統制。……まさか、一端いっぱしの除霊師みたいなことができるとは」
「うっさ」
「では、見逃すということで?」
「……ええ。実際この子だけで、ヒトの夢に干渉できるとは思えないですし。黒幕については知らないみたいですし。あとは仕立さんに委ねます」


作業が始まって数分。仕立は記憶編集を終え、100452は去ろうとする。

「あ、なにか言うことありますかー? 除霊師さん。――あなたのことは覚えてますよ」仕立が尋ねる。

「消えるのは、怖い?」100452に声をかけるルナ。
「うーん。分かんない。でも、『放棄』は死じゃない。完全に忘れ去られるわけじゃない。誰かが覚えていてくれれば。それでいつか、十分な数の人が僕を思い出してくれたら、OSIがリソースを割いて、また目が覚めるんでしょ?」
「うん」
「じゃあ、君が覚えておいてよ。――とある、老いて鳴かず飛ばずの絵描きが、自分の飼うMEMEの才に打ちのめされた絵描きが、一言の不満も浴びせずにその活動名ペンネームを譲ったことを。――僕はまだ描かなきゃならない。彼の筆で」
「私……私でいいの?」
「うん。いつか思い出して。街の話題に上げてよ」
「うーん。インフルエンサーじゃないから無理かも」
「……やっぱ他あたる」
「ごめんごめん。わかったよ」

『追跡』を解除しました

「じゃあ。――ありがとう、除霊師さん。『解体』しないでいてくれて」

頷くルナ。最後に訊ねる。
「……名前ペンネームは?」

ラヴラット

言い残して、スッと消える。どこにワープしたのか、位置情報を見るのはやめておくことにした。

「――ただ、そういう人生だった。なにも悪いことじゃない。作者は君じゃない」テイラーが小さくこぼす。
「……何かの引用ですか?」
「いいえ?」
「うわー、なんか一気に冷めちゃった」
「悪かったですね」


「でもそれって、残酷じゃないですか? 決められた筋書きに逆らえないってことじゃ」
「ええ。だから言ったんです」
「なにそれ……」

Design

「約束」
「え? ああ、そうでしたね。何が知りたいんです?」
「……ちょっと待って下さい」

何を知るべきだろうか? いや、もちろんそれは、「私の記憶を消したことについて」。――いや、私の過去について聞けば、自動的にその有無は分かるから……。あれ、待てよ、他に聞いておくべきことはなかったっけ?

「10、9――」
「ちょ、卑怯! 卑劣! え、え、これ、オープンクエスチョンで良いんですか!? イエス・オア・ノー疑問文?」
「どちらでも」
「じゃ、じゃあ――」
「では、今回はこれでチャラですね」
「……ん?」
『どちらでも』とお答えしました。それが知りたかったんでしょう?」
「ん?」
「え?」

――呆れた。まさかこんな大男が、こんなに狭くいやしい心を持ち合わせているなんて。どうしよう……単独解体って無理だったっけ……。

「はは。冗談ですよ。で、何が聞きたいんですか」

もはや、ここで愚直に聞きたいことを聞くのも屈辱である。何かこう、相手をくったような質問がしたい。

――仕立さんは、ここまでどんな人生を送ってきたんですか?


「え、そんなことでいいんですか? っていうか、今日じゃ話し終わらないんですけど」
「じゃあ、話し終わるまではまた現れてくれてもいいですから」
「え、それはいやです」
「『何でも一つ、正直に話す』」
「いや、デカすぎるでしょう。『一つ』が」

なぜだろう。自分のほうが卑しいような気がしてくる。これも仕立の巧妙な心理誘導だろうか。

「じゃあ、ひとまず、KALMを去る前後のことを教えて下さい。今回はそれで手を打ちます」
「……まあ、いいでしょう」

仕立はどこからともなく、ARオブジェクトの椅子を取り出した。

「どうぞ――あ、そっか、ヒトは座れませんでしたね。失敬失敬」言いながら座る仕立。
「で、あなたは座る」
「えっ?」
「……いいえ、なんでも」

ルナは呆然と立っているしかなかった。


「……娘がね」
「え、娘さん……いらっしゃるんですか」
「ダメですか?」
「ダメです。MEMEなのに」
「差別ですか」
「冗談です」
「笑いは総じて、ほとんど希釈した差別」
「……それはちょっと極論じゃないですか?」
「まあ、別にそれが何だ、とは言いません。――私が診てきたMEMEたちの口癖です」
「そうですか。――っていうか、MEMEに子供は、そもそも無理でしょう?」
「家族ごっこ、ですよ。義理の娘です。中学生。父親代わりをやってるんです。彼女の本当の父は、彼女が生まれる前に亡くなりました。KALM上層勤務の男です。遺言が見つかり、自ら命を絶ったとされていますが、真偽は不明。HiPARに罹患していたという話も聞きます。――まあ、可哀想な境遇にある義娘むすめのお願いとあって、大命をおおせつかってるんですよ」
「……大命?」
『お父さんに会いたい』と」
「それは……」
「ええ。無理です。でもやらなきゃならない」

地面に向かって、あるいはそこに重ねた映像の誰かに向かって、語りかける仕立。
普段から嘘発見器に頼りきりだったルナにも、仕立の本心が垣間見えた気がした。

「なぜ、無理なものを」
義娘が私の飼い主だからです。MEMEにとって、飼い主の願いは絶対です。それが、達成不可能であっても。――だからMEMEは子供に所有されたがらない」
「……飼い主、ってことは」
「初めて名前をくれた他者が、義娘でした。私が当時名乗っていた名前をもじって、『Jack』と。――で、私は義娘と父親の再会が果たされるまで、義父として義娘の面倒を見ながら、こうやって手がかりを探っているんです。これには、父親を殺した犯人を問い詰めることも含まれています。もちろんね」
「それでKALMに」
「ええ」

何気なく新しい硝子板を出現させる仕立。ニュース動画が流れている。

暗いニュース、暗いニュース、暗いニュース。果ては絶滅思考。これからの未来を生きる義娘に対して、少々無礼がすぎると思いませんか? 資源の枯渇、循環と共用に重きを置く社会は結構、それで消費は低下、資本主義は万年体調不良。資源を確保しつつ、創造性とAR開発で所得を得られるのは一部の恵まれた人々。そして、食糧難。完全栄養食ペーストって、味覚AR無しじゃ、不味くて到底食べられたものじゃないんでしょう? 中学生の義娘は深深度に潜れませんから、そのまま食べるしかないんです。――最近はだいぶ慣れたみたいですけど。

そんな事実は尻目に、今日も街は街の欲するネタを話題トレンドに上げる。『夢中のバンクシー』『転生MEME』――死んだ人間が、MEMEとして生まれ変わるなんて……とんだロマンチストの戯言ざれごとだと思いましたけど、そうも笑っていられない。だって、そうでしょう? それで、義娘が――語依ユーイーが父親と再開するという『不可能性』がそのまま、『可能性』だったんだと、知れるんですから。――そんなもの、調べない手はない。

……明るいニュースを、明るい未来を、私たちで作らなきゃならない。一端の大人として、語依の義父として」


「……仕立さん」
「すみません、長々と話してしまいました」
「……仕立さん、もしかして、いい人……?」
ほら。またすぐ信用する
「え?」
記憶ストーリーを作るのは、私の常套手段ですよ。全部、私の作った記憶。私に義娘なんていませんよ」

後退りするルナ。

「……う、そ……ホントに言ってるのこの人」
「んっ! ピース!」間の抜けた声でそう言って、言った通りのポーズをする大男。
「……信じられない。ヤバいこの人。ありえない。ヤバいヤバい。……え、ヤバい。そんな手の混んだ作り話――」

何かが引っかかる、ルナ。

「え、まって。さっき、記憶って言いました……? 作った記憶?」
「ええ。それがなにか?」

『作り話』じゃなくて?

「……はーい、今日はここまで!」
「えっ、ちょ――」
「引き際が肝ですからね」

この日はそれ以上、過去について話してくれなかった。


「そうだ。仕立さん。決めました」
「何を?」
「私の記憶を元に戻してください」
「無理です。じゃ」
「待って! そういうことじゃなくて。――気づいちゃったんです。私、いくら仕立さんに昔の私を聞いたって、記憶編集を――仮にできた場合――して元通りにしてもらったって、信用ならないじゃないか、って。……人狼だし」
「あー、言われてみればそうじゃないですか! たしかに!」
「え、知ってて意地悪言ってたんじゃないんですか」
「え? いや、大して興味が――いえ、なんでも……」

ルナはいちいち反応するのが面倒だったので、にらみつけるに留める。

「――でしたら私はお役御免ですよね」
「いいえ。私は、私の手で、記憶を元に戻します。その方法を探すのを、手伝ってください。昔の私を思い出す作業を、手伝ってください」
「えー……」
「えーじゃない」
「だってー、メリットないじゃないですか」
「語依さんのお父さんについて、私も調べます」
「……え、結局それ信じてるんですか?」
「どう思いますか?」

数秒の沈黙。すぐに返答を返す仕立にしては珍しい間であった。

「……なるほど? おお……なるほどー! ……へえ面白い! 白浜さん面白いですねー」

ルナはやっとの思いで仕立の興味を引き出すことに成功した。
設計された命題答えるから、そこに正誤が生まれ、漬けこまれるのだ。「勝負の設計者が勝負に負ける可能性はない」……それがこの男の常套手段だ。ならば、命題を設計する側に回ろう。そしてこの命題は、仕立の言葉の真偽は、仕立がこれからその身をもって実証していく。

もしこれで仕立が二度と目の前に現れなければ、自分ひとりで、自分を探すまで。……この男との勝負に勝てさえすれば、最終的に彼の嘘を見抜けさえすれば、後処理をするのはひとりでも構わない。

ルナが、因果の再生位置にとらわれない思考――時間の外に出る方法を体現したのは、このときが初めてであった。彼女はそのことにまだ気づいていない。前回のやり取りで一杯食わされた仕返しが叶い、ルナはそれで十分に満足であった。

「ふふん。じゃあ、そういうことで。――あ、後で情報共有してあげます。まず同じラインに立たなきゃ」


「あ、そうそう。私にも弟分がいるんです。シェアハウス生活、私も家族ごっこですよ」
「心配してるんじゃ?」
「さあ。部屋出るときもそっけない反応だったし。そりゃないでしょう」
「……随分と弟思いだこと。そんなタイミングで、若い男のところに来るもんじゃないですよ」
「……義娘さんが心配してるかも」
「私はワープで帰れますから。じゃ」
「あ」

微塵の名残惜しさも見せずに消える人狼。

「なんだろう。だいぶ幻滅したなぁ――いてっ!」

頭に何かが降ってきた。地面に落ちたそれを拾う。――硝子板?

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よし、早速獲物が掛かっ――。
「いたっ! ……何!」

深深度、浸かりすぎじゃないですか?

「へ?」慌てて焦点を手前に定める。

-Current depth-
3.2
警告:バイアス深度悪化(3.0)

慌ててメガネを外すルナ。……これは、マーフさんにこっぴどく叱られそうだ。


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