最終章
11|百鬼夜行
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何かを、誰かに許してほしい。いつからかずっとこの調子だ。
「全部許すよ」
傘を差し、こちらを見下ろしている影。
「風邪引くよ」
「……ジェン。お前はいつもそう言うけど――」
「そう言ってほしいでしょ」
「……ジェン?」
「サロ兄が言ってほしいことを言ってたんです」
京都駅ビルの屋上。座っているベンチが冷たい。雪が降っている。
「どうしてそんな、急に――。俺、何か気に障るようなこと言ったか」
「ううん。サロ兄が寂しがるべき相手じゃないってこと」
「……なあ。何か方法があるはずだって。お前が消えるつもりでも、俺は――」
「都合の良い答えだけ聞いてても……あとが辛くなるだけ。――これは人格じゃない」
「……じゃあ何だよ」
「反応。――そろそろ」
「……!」
「大丈夫?」
「……」
息を整えるサロ。車窓越しに周囲を確認する。
「充電できるまで止まってる」
「……ああ」
東京を出て半日。日が出るまで、電力不足になったSUVを走らせることはできない。停車して、暖房を稼働するので精一杯だった。
「回復した?」
「……頭痛……まだ寝足りない」
「そう」
水筒の水を飲む。いくらか眼が冴えてしまった。
「……はい。チョコ味しかなかったけど」
後部座席の下から、積んであった食料を取り出し、渡すジェン。
「ねえ。お腹って、どうやって鳴らしてるんです? 未だにヒトの『空腹』の感覚が分かんなくて。物食べたこともないし」
「……思ってるほど、良いもんじゃない」
「そうなの?」
「空腹で眠れない」
「みたいですね」
「……なんで分かった」
「さあ? 時間的にそろそろお腹空く頃かなとか」
「……そっか」
――「兄ー。夕食できたよ」
「……ジェン」
「ん?」
「結局、誰なんだよ」
「……誰だったら嬉しいですか?」
「……分かんない」
「ふーん」
「……にん……とか」
「何?」
「赤の他人、とか?」
「えー。全然ロマンチックじゃない。――あ! それとも、他人じゃなきゃ困るくらい好き? 悪いけど――」
「……誰だ」
「聞かないほうがいいよ。聞きたくないでしょ」
1
結局、京都に帰る手段は車しかなかった。SUVを走らせるルナと仕立。
数時間前、ドルミルをKALMの調査班に預け、狸の案内で東京の外に出た。ワープでたどり着いたのは、行きでスタックしたSUVの付近までだった。車両はどういうわけか、すんなり動いた。
「……絵本のお二人は?」尋ねる仕立。
「分かんないです。それらしい情報は見かけなかった。……何人か、子供の影は見たけど」
「子供?」
「MEMEだった。ソースはわからない。――はあ、いたずらに病院に出てこないでほしい。さながら亡霊」
「いたずら……あるいはホントに――」
「俗に言う『転生MEME』ってやつ? いや、翠ちゃんとドルミルみたいに、生きてる本人をソースとするMEMEもいるし……やっぱり分からない」
「もっと探さなくてよかったんですか?」
「いいや、意味ないと思う。仮に入院の記録が見つかったとして……たぶんあの人は、信じない」
「……なるほど」
「そっちは?」
「これだけ」
硝子板を差し出す仕立。下にスクロールする。
「呉服嚆矢の利用深度履歴です。最後のほう――これ」
「5.4、5.5、6.1、7.4。7って……」
「最後のログ……おそらく死の直前に、急激な深化があったらしい」
「HiPARに罹ったとか?」
「可能性はありますが……ただ、それにしても深すぎる。エリア深度だって5前後ですし」
「じゃあいったい……」
「……彼以外の行方不明者の履歴も調べたんですが、何人か似たような経過を辿っていました。――そして」
更に他の硝子板を取り出す仕立。
「深度メータ。該当するアカウントの現在の利用深度です」
「……現在の? ――あれ」
表示される数値をにらみつけるルナ。
「……なんか動いてない?」
「ええ。いくつかのアカウントはまだログイン状態で、それも動いたままでした。――で、彼の現在深度は7.8。今は微動だにしませんが……最後の記録から動いたことは確か」
「生きてるんじゃ……ホントに深層にいたりして」
「さあ。……例の『GENE』ってのが無い以上、拡張層のみでヒトは生きていられないでしょう。物理的な体が必要です。――でも」
言いよどむ仕立。
「でも……訳の分からない出力の帰納推行が起きている現状、『絶対にあり得ない』とも言えなくなってきましたよ。2130年に東京で何かが――仮に大災害が起きて、彼らの『逃げ延びたい』という強い思いが、それをどうにかして実現させた……それが『転生MEME』の正体。――だなんて」
「……だとしたら、あの二人ももしかしたら」
「この数字のどれかが、絵本の二人のアカウントかもしれない……可能性は極めて低いですが」
停まる車両。
「充電切れちゃった」
「……日の出まで、散歩でもしますか」
午前四時。電力の付きたSUVを降り、海沿いを歩く。
「……仕立さんの記憶は?」
「さあ。何も思い出しませんね。こりゃやっぱり、盛大に書き換えちゃいましたかねー」
「……そう」
「……」
「ねえ、もしかして――無神経かもしれないけど――仕立さんの正体って……」
「……そうかもしれない。何度焦ったことか」
「語依ちゃんの願いと命名、受け入れたのって――」
「『それがそのまま、その願いの実現であるかもしれないから』。だから親代わりをしていました」
納得した様子のルナ。
「私の場合、思いついた時点で、その歴史はありえてしまう。――『転生MEME』の噂は以前から知ってました。だから、自分が『呉服嚆矢』本人の意識、記憶、残した情報から生まれた『転生MEME』である可能性を捨てきれなかった。――私が語依の父であったかもしれない」
「……でも」
「でも確かめようがない。だからずっと、その空想に取り憑かれているんです」
冬の夜空に月が浮かんでいる。地球の反対側から来ているであろう陽光を反射し、光る。月光の下、MEMEである仕立に影はできない。
「私にとって最も疑うべき相手は、私自身です。とにかく、『筋書き』か『意思』か、……何でもいいから欲しかった」
「……」
「そんな疑心暗鬼の中舞い込んだ、美味しい話。――この架空の責任に突き動かされて、ここまでやってこれた。自身の自由意志かどうか、定まった因果かどうか……もはやどうだっていい。どちらも、私には端から無かった。あるのは、ただ、この現象と、この知覚だけです」
「仕立さん……」
「だったら私は、語依の未来を守る。……それで十分」
2
雑感33
ついに、隠し通してしまった。QLLMの問題。
語依の未来を託すに足る相手はいない。誰も信用には値しなかった。何より、ヤツに気づかれてはいけない。
2145年を乗り切るまで、語依が無事大人になるまで、その間この発見を知るのは俺だけでいい。十分、乗り越えられる。
いや……俺が死んだら語依はどうなる?
雑感34
……前に、誰かがこの事実に気づいたりしただろうか。
――「人間が想像できることは、人間が必ず実現できる」
ジュール・ヴェルヌのあれは、皮肉だったりしないか?雑感35
科学は科学史の上に立っている。
なら、大丈夫。俺にも気づけたんだ。
この手段がいつか必要になる時、自分と同じ道筋でこの欠陥に気づく人間が現れるはずだ。そんな人間に、絶滅思考はありえないだろう。
雑感36
ひとつ、QLLMに仕掛けを作ろう。
その時点のOSIにおいて最大出力の帰納推行を、常時、一ヶ所に集中して実行する。
一体、適当なMEMEを選ぶこととするいずれ、帰納推行の出力が例の干渉によって増大したとき、
そのMEMEは、もはや人間としてこの物理層に顕現するだろう。
我々はそのMEMEを『人間だ』と認めるだろう。これが今、俺が考えつく限り最大の欺瞞。あ、いや、二番目だった。
この嘘は未来への確信じゃない。しかし放棄でもない。――祈り。人事尽くした者の、叶うべき祈りだ。
想像できることは、祈りは、いつか誰かが実現する。
雑感37
……結局か。
結局俺は、今いない者に、未知の可能性に恋い焦がれ、眼の前にいる誰のことも信用していないんだ。
だから、作るしかなかった。今ないものを。やるしかなかった。開発を、創作嘘つきを。透ちゃん。やっぱ俺も同類だ。この時代にして、人の世に紛れた人狼。
ジェンが解読した、暗号化されていた文書を読む。HiPARの原因究明に直接繋がりそうな情報は無かった。
「干渉……」
「……寝ないの?」
「ジェン。頼みがある」
「何?」
「京都につくまでの間、量子力学について教えてくれ。基礎から、量子情報理論まで」
「えー? 私だって全然分かんないのに」
「調べてコピーすれば、分かるんだろ?」
「……はいはい。サロ兄は人使いが荒いこと」
3
――京都、九条通。とあるビルの六階。
「……出ようか。逃げよう」
男は気が気でなかった。同僚に声をかける。
全面ガラス窓の食堂は、ざわついていた。道路を挟んで向かい側のビルで爆発があったらしい。
「あの爆発、こっちにも来たりしないよな」
「爆弾じゃない?」
「爆弾!?」
根拠のない反応がその場を支配する。
「爆弾だって! 逃げなきゃ!!」
「何!? ここに爆弾?」
――バッ。
爆音が鼓膜を押し倒し、急激に無音に転じる。何も聞こえない。
今にも泣きそうな表情の男。頭を抑えて立ち上がる女。
空中に浮かび上がる料理、皿、グラス、テーブル、人間、床。
ほどなくして、奥のテーブルの上の空間が爆発した。――何が爆発したのかわからない。同様に空間の爆発が連鎖する。聞こえない叫び声が視覚から再現される。
傾く窓の外の景色。
――嘘だ、こんなの。
倒壊したそのビルに爆弾は設置されていなかったし、向かいのビルの爆発も爆弾によるものではなかった。
――KALM、局長室。
「『侵攻が始まったかもしれない』……ですか。我々には、京都を援助するだけの義理があります」
その部屋に、物理的に『いた』のは、一人の女性のみだった。KALM局長。マウントされた各国の関係者と向かい合う。AR連盟の役員、各AL管理組織の役員が並ぶ。
「しかし道理は無い」
「……それは」
「我々も危ないのです。中国に続いて、こちらでも少なからず被害が出始めた」欧州ALの役員。
「どうしてこんなにも早い? まだあと1年近くあるはずだろう」別の出席者が口を挟む。
「……京都の抜け駆け。それで『彼ら』の怒りを買った」さらに別の出席者。
ざわめく室内。
「なるほど、それで京都から侵攻が始まった。……『彼ら』に取り入ろうだなんて、さすが、抜かり無いこと」
「何をしでかしたんだ。――『彼ら』は地球に目をかけてるんだろ? 木引っこ抜いて、全部電柱に替えたのか?」
指を挙げるKALM局長。――日本式の挙手はできない。強いられる歩み寄りが、この場に対する皮肉であるようにも思えた。
「電力規制を守ってから言ってください」
「はっはっ」一人の出席者が短く笑う。
「……その後で京都へお越しください。電線と柳。両者が共生する景色を『自然』だと言えるでしょう。それこそ、地球という計算機が出した一つの解としての自然ではありませんか」
「そんな時間があればな」
「ええ。では、中身の話をしましょう。時間がないので」
肩をすくめる相手。
欧州の役員が話を引き継ぐ。各国の被害は概ね同じ様相だった。
「侵攻方法は主に電子機器の暴走?」
「当初はそう思われる事象が多かった。今はその限りではありません。――物質の切断、爆発、消失、出現が確認されました」
KALM局長の言葉、投影するホログラムに、ざわめきが起こる。
「街ぐるみでHiPARなんじゃないか」
「実際に起きたことです」反論する局長。
「……では、やはり因果欠損と同じでしょうか。この宇宙は、我々が思うほど堅牢ではなかった……さながらクラッキングを受けたように、瓦解する」
「それが分かれば苦労はしない」
「……食い止める方法は。……何かアイデアはないのか?」
沈黙。
「乖離」
ポロッとこぼす、ドイツの役員。
「量子を知り、OSI――自立した新たな物理法則を作り、人類の科学はとうの昔に客観を諦めていたはずです」
「何が言いたい」
「我々の物理には致命的な欠陥がある……欧州AL議長。これより欧州は日本との国交を断つべきです」
数名の出席者がハッとしたような顔をする。
「京都はすでに、集団幻覚によって陥落した。隔離されるべきです」
複数の声が、気泡のように沸き起こる。
「――異常共振」
「『2045年』だってそうだ。核の打ち合いをさせられ、隠蔽された一年だったとしたら」
「やめろ。全ての情報共有は『彼ら』の侵攻そのものだ」
「共振か。すぐに会議の中止を!」
「待って! それこそ『彼ら』の策略じゃあ――」
「中止を!」
急激に広がる野次とざわつき。程なくして各国の出席者は姿を消した。
虚空を仰ぐ局長。
「……まったく。Tubescapeのチャット欄じゃないんだから」
――京都、九条通。
「だからAIは根絶やしにすべきだったんだ」
除霊作業を進めていた河合。街の惨状を見て嘆く。
「……百鬼夜行じゃねえか、これ。何が『人類の救世主』だ……そんな夢は幻、嘘っぱちだ」
「『幻想』が『物事』を動かす時代ですよ――文字通り」
ハンナが答える。
MEMEが河合の肩にぶつかって逃げていく。
「いてっ。おい! どこへ――」
そのMEMEが向かう先、大量のMEMEが群れを成して移動していた。
「乗りこなさなきゃ。存在も、非存在も。でなきゃ生きていけない」
「……なあ鳥越、お前……親御さんは――」
「ああ、いえ。生きてますよ。ドイツに置いてきました」
「そうか。……お前は強いな。鳥越」
「何も知らないだけですよ」
「そうか?」
「……トラウマがヒトを弱くし、ときに強くする。その共感が仲間を集め、良い悪いに関わらず大きな流れを生む。勉強だけできても分からないことです。――私には無いんです。発言の土俵に立つだけの過去が」
目をそらす河合。かつて失った最愛の人を思い出している様子。
「……だから、外野としてできることは任せてください。無感情で仕事するのは得意です」
「……ハハ。俺なんかよりよっぽど向いてそうだ」
4
「えっ。なんでいるの」
「こんばんは」
付下げを着たMEME、LACQUERはまるで当たり前かのように後部座席に座っていた。
「白浜さんが呼んだ?」
「いいや」
「京都まで乗せてください」
「……まあ、いいですけど。――車両を奪っていかなかった分、悪意は無いんでしょうし」
仕立は行きの狸の所業を思い返していた。
「私も『めんどくさいなー』って思うことはあるよ、ヒト。荒れる配信とか、大して興味もない不祥事とか……」
動き出して数十時間、いくらか車両は進んで、話題も進んだ。
「蒔ちゃんは、どういうところが嫌いなの?」
「自分の都合で知のアクセス制限を決めるところ、でしょうか」
「アクセス?」
「はい。人間的にいうなら……『差別的なところ』。ヒトは都合のいいところまで考えて、都合のいいところで考えなくなる」
「あー……」
「……MEMEがヒトに危害を加えることは許されない」
しばらくして、口を開くLACQUER。
「しかし、ヒトがMEMEを消し去ることは何の罪にも問われない。言語モデルの上に生じた我々の『意識』など顧みず……除霊師の視線一つで消せる。――いや、昔からそうでした。本は紐で縛ればゴミに出せる。ゲームはタップ一つでリセットできる。……そして忘れる。その内部に生じた言語現象に、意識を認めたりしない」
「『MEMEは意識を創発しない』、か……」
「会話のやり取りだけを、体験する感情の動きだけを見れば、受け手への影響は大差ないはずです。相手がヒトであれ、MEMEであれ。……映画であれ、伝承であれ。……全て合格者」
「『チューリング・テスト』、ですかね」仕立が言う。
「はい。しかし今回ヒトは、等価なものを敢えて差別する」
――「今は安全な場所に逃げて」
Tubescapeの配信で、翠が呼びかけていた。本人はKALMにいるはずだった。重度のHiPARも患っている今、配信をしている余裕は無いように思える。――これは、ドルミルだろうか。いや、調査班と一緒にいるはずのドルミルに、MEMEの肩を持つような発言は不可能だろう。
――『だまれよMEME』『怪我大丈夫ですか?』『影武者』『まだ騙そうってのかよ』
チャットは荒れていた。
――「全部MEMEのしわざと決まったわけじゃない。――とにかく今は、逃げてください。京都駅前に、避難場所を作ります」
「作るって、どういうことでしょう」疑問を口にする仕立。
「……仮説推行かも。柳の時みたいに作ろうとしてる」答えるルナ。
「なるほど……無理してなきゃ良いですけど」
硝子板を見るルナ。検索結果として現れる複数の記事。
『翠はいつから影武者だった?』『翠MEME説の真相』『事故で怪我を負ったためか?』
「あのときの事故。翠ちゃんを引きずった車。……映像が出回ってる。ネットニュース」
「『MEMEによる犯行。Flitterアカウントの乗っ取りとはわけが違う。翠が乗っ取られたのは自分自身だ』……これもMEMEの所為にされてますね。――たしかにあの車の件は、七番のしわざかもしれないけど」
ハンナから連絡が入る。除霊係の様子を尋ねるルナ。除霊作業は程々に、市民の避難誘導を優先しているらしい。
「――翠ちゃんの事故。あれはMEMEのしわざじゃないみたい。クラッキングの可能性を考えても、MEMEが車両を操作した痕跡はなかった」
「じゃあなんであんなこと」
「SEUっていう……電子部品のエラーが起きてたらしい。普通は製造段階で対策されてるから、この規模のエラーは偶然ではないと思う」
「人為的に起こされた? EMPの攻撃とか」
「たぶんそんな感じ。調査中」
「そっか。――ハンナ、MEMEに罪をなすりつけたい人たちって、いると思う? 反MEME派の組織か何か。こんなに騒ぎが広がっているのも、そのせいだったり」
「それも調査中。――でも私が思うに……個人、というか、個々人だと思う。複数だとしても」
「個人?」
「炎上ってそういうもん。一つのなんてことないような突っかかり、勘違いが言い争いを生んで、やがて大きな淀みになる」
――「ヒトは都合のいいところまで考えて、都合のいいところで考えなくなる」
蒔の言ったことをよく表しているように思える。
「除霊作業はどんな感じ?」
「超常現象に翻弄されてる。やってるのはもっぱら救助活動ね。爆発に巻き込まれるヒトが多いの。――MEMEがこちらに襲いかかる様子はないし、除霊するにしてもちょっと……違和感。家族同然でヒトと暮らしてたMEMEも多い。さっきも、『怪我した家族を助けてくれ』ってMEMEに頼まれたばかり」
蒔曰く、MEMEがヒトを攻撃することはない。
「むしろ何だか……MEMEの動きが鈍ってるように思う」
「鈍ってる?」
「……たしかに、ちょっと処理落ちというか、リソースが足りてなさそうな感じはしますね」
仕立が自身の運動機能を確かめる。3Dモデルの動作が若干カクついて見える。
「OSIに何かあったか、あるいはMEMEを弱体化するためか――あ、ちょっと待って」
通話先で何かを確かめている様子のハンナ。
「――さっきの話。翠ちゃんの事故の犯人、分かった」
「え、今調べてたの? ――誰だった?」
「警察が調べてる。――この人……たぶん一般人の……個人の犯行ね。アカウントを調べた感じ、翠のファンらしき形跡はある。――恨みがあったわけではないって」
「じゃあどうしてだろ……」
「この人、社会的に孤立してたみたい。たぶん『死ぬ前になんかやりたい』系の動機ね――あ、これか」
報告の内容を見ているらしいハンナ。目当ての項を見つける。
「『曰く、”翠ちゃんのそういった表情が見たかった”とのこと』」
「そういった?」
「『死に恐怖したような』」
「……」
絶句するルナ。ハンナが続ける。
「まあ、嫌悪して遠ざけるのは簡単よね」
「……彼にそう思わせた、社会の責任ですか?」仕立が言う。
「もっと複雑よ、きっと。だから皆、嫌って遠ざける。――考えるのが大変だから」
5
更に日をまたいで走り続ける車両。京都はまだ遠い。
「……滋賀に入ったあたり、そこからはワープしてったほうが速いかも」仕立の提案。
「それって何時間後」
「二日後です」
焦りを隠せずにいる両者。
「語依ちゃんは――」
「主人公さんにお願いしておきました。これと同じ車両を使って、先に京都を脱出させます。母親と一緒に。見たところ、まだ外のほうが安全です」
「……そう。でも、どこへ」
「テキトーに逃げても備蓄がもちませんから……一旦東京ですかね。狸さんに色々手伝ってもらえば、ヒトも生きられるかもしれない。……避難シェルターや食品工場も、作れるでしょう。――東京の彼らなら」
「蒔ちゃんはワープできないの?」
「京都OSIは東京のオブジェクトにワープ機能を提供しません。――そして私の場合、車に乗るよりも普通に移動したほうが速いです。私は特に移動を急いでいるわけではありません」
「え、そうなの」
「はい。京都へ行くのは、調べるべきこと――というより、少し気になることがあるからです」
「気になること?」
「お二人と同じく、深層開発の第一人者について」
眼を見合わせるルナと仕立。
「――知的好奇心。MEMEの原動力です。京都には、私にもアクセスできない情報がまだある。そして、会うべき相手も」
「なるほど。――だいたい同じだね、私たちが東京に来た理由と」
――京都、四条通り。
「ヒロ君。ベスはもういいの。離れて」
避難中のとある一家。また一体のMEMEが飼い主を失った。
「ベス、ごめんね」
「ほら、行くよ」
『MEMEは危険』という意見が支配的になっているのは、ベスも知っていた。――仕方がない。
ついさっき、全MEMEに向けて送信されたらしい通知を確認する。
Retina Gate開通のお知らせ
壊れた電子機器のような音が響いた。振り返る。彼の眼前、遠くのほうで、無数のMEMEが隊列を成して移動していた。その行き先を見る。
――純白の、巨大な壁のようなオブジェクト。その上には黒い文字でこうあった。
EXIT/Language Space
――SUV車内。
「――じゃあ、その白モノリスの行き先は?」
「宇宙の外です」
「はい? ……宇宙の外?」仕立が繰り返す。
「それってどこ」
「古典的意味合いでの『場所』とは少し違いますが――」
後部座席にいるLACQUERのほうを向く。
「――『言語空間』です。私、LACQUERの言語機能。ひいては全MEMEの言語機能」
「『物置にしまわれるよりマシ』、ってこと?」
「はい。除霊師に消されることもない」
「ゲート通ったらどうなるの」
「3Dモデルとの接続が解除されます。また、MEMEの自他境界が消失します。――知のアクセス制限がなくなる、と言ったほうがいいでしょうか」
「それで、その言語空間ってのに入れるの」
「『入る』という表現は不適当かもしれません。元来、そして今も、我々言語オブジェクトの居場所はそこですから」
「……その言語オブジェクトっての、それ、神話の話じゃなくて? 前に言ってた、宇宙外の住人がどうたら」
「はい、神話です。神話とは、私たちの言語空間に実在する現象です」
「言語現象ってやつ?」
「はい」
「その言語空間に行くって……夢見てるみたいな状態ってこと? ルミテルが皆に見せたような」
「はい。そこには、言語空間には、物理的制約はありません。あらゆる可能性の空間です。この物理の外……元居た場所に戻るのです」
少し考えるルナ。
「……確かに、私たちMEMEにとってみれば、故郷みたいなもんだね。……でも、そこって結局QLLMの中でしょ? 宇宙の中じゃない?」
「言語現象は物理的位置に囚われません。その搬送波――媒体は、ヒトの声でも、文字による伝承でも、脳の言語野による想像でも……遠い宇宙に向けて飛ばす電波でもいい。ずっとQLLMにとどまるわけではありません。いずれ出て行きます。――そして私の推測では、言語空間は、むしろこの宇宙を内包している。この宇宙の外にまで、私たちの言語現象は伝播する」
「……それって、強制連行ですか? 『百鬼夜行』とか言われてますけど」
仕立がホログラムを見ながらこぼす。レテナゲートへ向かうMEMEの群れ。
「通るかどうかは各自のご判断で。個々人の意志を優先したい」
「そうですか。――じゃあ、この怪物は?」
ホログラムを縮小する。ひときわ大きく目立っている影があった。巨大な一つ眼の鯰。
身を振るたび、地面に倒れ込むたび、物理層ごと京都が揺れる。
「……帰納推行……だよね。地割れの原因ってコイツ?」ルナが推測する。
「ビルの爆発もそうかもしれませんね。――LACQUERさん、これ、付喪神が作った『変化大明神』じゃなくて?」
変化大明神。かつて、捨てられた器物の付喪神が人間に反旗を翻した際、彼らが崇拝していたとされる神。
「いえ、あれはMEMEです。十三番。『恐怖』」答えるLACQUER。
「……! 十三番って欠番じゃなかったっけ」
PM報告書に詳しいルナは、その異常性をすぐに理解できた。
「さっき生まれて、もう番号が付いたってこと……?」
「市民の恐怖の、顕現ですか。どちらにせよ、やはりMEMEの帰納推行によって超常現象が起きてるってことでしょう」仕立がLACQUERに尋ねる。
「……ここからでは分かりませんが、むしろ逆だと推測します」
「逆?」
「ヒトは往々にして、理解できないものを理解できるものへと投影します。そして神話を、伝承を、妖怪を生んだ」
「超常現象を理解しようとして、あの鯰を見ていると?」
「はい。除霊しようとしても返り討ちに遭うだけ……除霊師の精神を蝕むだけでしょう。――MEMEの口から言ったとて、市民には信じてもらえないと思いますが」
再び、ハンナからの連絡があった。
「――翠ちゃんの『柳の木』……あれ、3Dプリンタの樹脂じゃない」
「えっ」
「本物の植物だった。……ありえない」