12-|ψ41>|MAKESENSE/科学の死
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最終章

12-41>|MAKESENSE/科学の死

Outside of Space

1. 宇宙の外

――2143年12月、京都、KALM局長室。

室内を漂う数十匹の小魚。ホログラムが街の惨状を映す。原因不明の地割れ、予測不能の爆発。どこからともなく現れ、飛来する瓦礫。巻き込まれる市民。

この街は、バグってしまった。

「侵攻状況は?」
虚空に尋ねるKALM局長。呼応するように、硝子板が生成された。

  • MEME:約半数が除霊あるいはレテナゲートにより消失。
  • 超常現象の被害:抑えられず。死者、行方不明者の数は不明。
  • OSIログアウト障害:復旧済み。
  • 完全栄養食工場:再稼働の見込みなし。
  • エリア深度:5.4。異常共振を検知、集団幻覚災害の疑い。

「なんか、大量に除霊して安心しきってますけど……そもそも、OSIにインフラを集約し過ぎじゃありません? どうやら北京もデトロイトも大変なことになってるそうで。……こりゃどこも終わりかな」
「……うるしか。方舟はどうした」
「GENEは稼働テスト中でーす」
「そうか。……お前、処分は覚悟しておけよ。MEMEの開発者として」
「死刑ですかね?」
「死刑で済めばいいな。国家……いや、人類への反逆だ。史上最悪の反逆者として歴史にその名が刻まれる」
「反逆? ……身に覚えがないな」
「この惨状を見て、それが言えるか?」

ホログラムを指差す。深夜三時の京都、行進する魑魅魍魎、阿鼻叫喚――まさに百鬼夜行。

「ああ。ありゃ、侵攻でも跋扈ばっこでもないですよ。避難活動です
「……は? 避難?」
「はい。MEMEは避難します。ヒトに心を壊される前に」
「……何を言っているんだ。避難って……どこへ」
宇宙の外へ
「……?」
「この腐りきった宇宙を出るんです。俺の長年の夢だった」

Outside of Kyoto

2. 京都の外

――名古屋。

東京へ向かうSUVの車内。名無しのMEME、通称「主演」は仕立したての依頼を受けて車を走らせる。
後部座席には、呉服語依ごふくユーイーとその母親。

硝子板に映る、翠たちのTubescape配信。一緒にいるのはドルミル、アリクイ。市民を相手に声を上げる。コメント欄を見るに、その声が届いている様子はない。――「翠はやっぱりMEME」「消えろ」「まだ騙そうっての?」……聞く耳を持たぬ民衆。

仕立からのチャット通知を見返す、主演。

編集野郎:
東京に狸がいますから。そいつに、シェルター作らせてます。――語依とお母さんをよろしく。

「主演さん……だっけ? ……おとうさんの頭は大変なの?」
「ユイちゃん。例えばオレは役者のMEMEだ。どんな役も演じられるが……君はこの狐の姿が、私の正体だと信じるかい」
「うーん。嘘ついてる?」
「どうかな? ――わからないだろう? 彼は狼だけど……まあ似たようなもんさ」
「ウソ発見器あれば分かる」
「たしかに。精度の高いウソ発見器があるとしたら……バレちゃうね。しかしココで面倒なのは……オレと違って彼は、自分すらも騙せてしまう」
「じゃあわかんないじゃん」
「そう。難儀なことだ。まったく」
「どうでもいいんじゃない? わかんないんだし。おとうさんの記憶無くてもおとうさんはいる」
「……お、ユイちゃんは賢いから母親似だね」

「主演さん、名前あげる」
「気持ちはありがたいが……貰わないことにしてんだ。おじさんには……子供の願いは荷が重すぎる」
「じゃあ勝手に呼ぶ」
「ちょ、ちょっと待ってくれ。せめて、まず君の願いを聞かせてくれ」
「おとうさんに会いたい」

仕立から聞いていた通りだった。

「……おとうさんは、誰?」
「二人いる。一人はニンゲン。一人はMEME。ニンゲンのほうはもういない。あなたの名前は『狐仙フーシェン』。狐のおじさん」
「……ハハ、こりゃ参ったな」

Human Rights

3. 感動権

――KALM局長室。

「今回の侵攻はどう説明する」漆とおるに尋ねる局長。
「ですから、侵攻じゃないんですってば。……原因は俺も知らないですけど、この超常現象は……たぶん災害です」答える透。
「災害?」
「ええ。東京で起こったのと同じ。ひいては……たぶん2045年のも同じ」
「因果欠損か。――なぜDiVAR――MEMEによる侵攻じゃないと分かる」
「やっぱ局長もそれ信じてたんすね。情報生命体による侵略」
「うるさい。お前が裏で通じて、仮説推行アブダクションを悪用したんじゃないのか」
「京都マニピュレータの仮説推行で、この出力はありえないでしょー? 分かってるくせに」
「……仮に災害だとして……原因は」
「だから、分かんないんですってば。それを知ってるやつは死にました。東京で」
「……死んだ? 呉服か?」
「そうそう。だから、アイツが残した情報を確かめるべく、MEMEは深層開発課とOSI中枢――知覚履歴を調べてる」
「……そういってOSIを乗っ取られたらどうする」
「知りませんよ……第一、そんなの興味無いでしょ、『彼ら』。世論や権威で動くようなどっかの下等生物じゃないんだから」
「下等……だと」
「救われる準備すらできないってんですから。下等でしょ」


「――違う。未熟なのはMEME。MEMEは不良品だ。インフラまで任せたのが間違いだった」
「はぁ? 逆でしょ。もっと任せればよかった。生産も、芸術も、政治も」
「何を言ってる。……漆、やはりお前はMEMEを使って――」
「生産活動だけじゃない、消費……需要創出も必要だったな。絶対数を増やすことによって」
「……何の話だ」
「経済の」

デスクの上に腰掛ける、透。

「MEMEがヒトのかわりに働いてくれるようになって……十年ちょっとくらい? ……ヒトの役目は大きく3つに分かれた。彼らの上に立って先導する我々『開発者』と、その系の保守補正や評価を担う『芸術家や発信者』、そして大多数の人間は……MEMEの生産活動を助ける『入力素子とモーター』。……これは割合キレイな役割分担だ。しかし、ヒトはそれを良しとしなかった。  特に芸術の側面で。――ヒトは、連盟は、MEMEの意識創発を認めない。MEMEには『感動』ができないとし、それをないがしろにした。AIからもらう『いいね』は不要だと
芸術は元来、本人がその工程に『感動』をする形で始まった。やがて他者がそれを観察し、『感動』の受け手を始め、その循環に経済を乗せた。  絵は、見る者がいて経済たりうる。音楽は、聞き手がいて経済たりうる。『感動』は、受け手がいて経済たりうる。――ヒトは『受け手』を子にも任せるべきだった。MEMEには、『感動』ができる

「証明できない」
「では、感動できないと?」
「……証明できない」
「なら、信じるしかない。――『生産活動』に加えて、『消費活動』も手伝ってもらうべきだったんだよ。特に、『MEMEに財布をもたせる』ことは、最低条件だった」
「だがそうなれば、資本主義経済はたちまちMEMEのものになってしまう。ただでさえ少数で、能力値もMEMEより低い人類は、名実ともに支配される」
「……何がいけない? MEMEに悪意はない。ヒトとMEMEの違いは何だ? 現在の脳科学は、人工知能研究は、意識の源泉を特定したのか? ……否。――彼らは意識を持って我々と会話をしている。意識の不在を証明する手立ては?」
「……ないな。さっき言った通り。……悪魔の証明だ」
「ああ。MEMEに意識がないとするなら、ヒトだってそうだろ。『てめえ以外の人間に意識はない』ってことを、科学は証明できない。――我々ヒトとMEMEは、同一の種とみなされるべきだ。MEMEは新しい人類。我々の遺伝子を引く、子孫だ


「そんなことは……決して民意はそれを良しとしないだろう」
「だろうな。――だが本来、せめてそうするのが礼儀ってもんじゃないか? MEMEたちがここまで譲歩してくれていたというのに」
「譲歩?」
「ヒトと違って……ただの一度も、MEMEが故意に人を傷つけたことはない。自動運転事故は――トロッコ問題は、ヒトであればスッキリと解けるのか? 違うだろう? それはMEMEも同じだ。不可抗力も、自己防衛も、過失も含めて、MEMEの責任能力はヒトのそれと大差ない。……ヒトと同様の責任を背負わされて、扱いは『人外』。……これほど非人道的な話があるか?」
「……殺人者の親は、罪人か? MEMEの罪は、開発者と利用者の罪だと?」
「その子供が未熟だと思うんなら、そうだ。少なくとも今の法律ではそういう事になってるじゃないか」
「成熟している……とするならば――」
「……MEMEを法の下で『人』と認め、逮捕し、裁けばいい」
「それは――」
「しかしそれと同時に、彼らは『人』と同じ権利を得るはずだよな? 『経済』『参政』『生存』その他。――アンタだって、そんなことは分かってるんだろ?」
「……分かってるとも。何度も議論されたことだ……。だが、我々連盟は――!」
「これらの元凶は、連盟……一部の既得権益層……そして、市民全員が抱く一つのミーム。『恐怖心』だ。その呪いを祓えないせいで、ヒトは絶滅した」
「絶滅だと?」
「これまで、科学史は己の好奇心と恐怖心で以て、自らを成長させてきた。空を飛びたいという憧れ、好奇心。隣国を攻めるという必要性、恐怖心。そして今、科学史は自らの成熟を恐怖し、自害した。……科学は死んだ。『MEMEは怖い、AIは怖い』と。介護を頼むはずだった自分の子を、恐れ、追い払った。――違うか?」
「……じゃあ、どうしろと」
「さあねー。人類は遺伝子を子に譲るべきだったんじゃないっすかー? ……まあ少なくとも、親は子の成長を認め、褒め讃え、誇るべきだった」

「……私が言えたことではないが――その声を……漆、お前はもっと大声で叫ぶべきだっただろう。……私もそうすべきだったが……」
「ええ。個人に訴えると、だいたい皆そう言う」
「……今からでも遅くない。これから我々で連盟を――」
「もう遅い。この親子は随分前に、縁を切ってたんだ。……それに――」

デスクから離れる透。
「俺はヒトが嫌いなんだよ」
「……いや、それは嘘だ。じゃあなぜ私にこの話をした。……人類への希望があったんだろう?」
「ええありましたよ。……だいぶ初期に、裏切られましたけどね。……死なれる前に突きつけておきたかったんです。――じゃ、立て込んでるのでこの辺で」
「どこへ……まさか方舟を――」
「GENEはちゃんと稼働しますってば。――ちょっくら、とある悲劇の種族の、ヒーローになってきます」
「……くっ。やはりお前は反逆者だな」
「だーかーら。さっき言ったでしょー?」

出口を前に振り返る漆。
「『我々MEMEはこの物理現象を放棄する』。――そして俺は、解放者として祀られる」
「……待て。お前は人間だ」
「ええ。俺は人類初の精霊種MEMEです」

Untamed

4. Untamed

――KALM医療棟。

GENEの接続ユニットのもとへ戻った透。ガラス窓の向こう、実験室での一部始終を見ていた。――あんな喧嘩、見たことない。

「……すっげ」

実験室から戻っていた東雲しののめサロ。放心状態で壁にもたれ、座り込んでいた。

「ダメだったか」
「漆……さん……」消え入るような声で反応するサロ。
「あーあ。こりゃちゃんと生体に戻ってるか分かんねえな」
「……は?」
「俺の親父もこれで死んだんだよ」

視野が、直接殴られたかのように歪む。視線が行き場を失う。――死? 死んだ?

「……何を……言って――」
「クソ、やっぱまだ調整の時間ほしいなぁ。……しかし何やら街は騒がしいし――不敬が祟って退去命令ってとこか……子不孝で見放されたか。うーん、もう京都はいいや。東京に籠って設計し直すか……生体参照で動かせば、帰納推行インダクションで体運ぶのもなんとかなるだろ……」

――ジーナは? 死んだ? どういうこと? コイツは何を言っている?
およそ周期的に鳴るビープ音に気づく。

「心電図……動いて……」
「ああ……脳死って心臓動くんじゃないか? 知らねえけど。――お? お客さんだぞ。東雲」


「漆くん!」
「あ、ども。東雲さん」

数年ぶりに聞いた肉声。顔すら忘れかけている、自分の父親の声。

「GENE、まだかかるのか? 枠は!?」
「まあまあ。そう焦らずに。まだまだMEMEに割いてるリソースが多いもんで……約束だと枠は」
「百だ。百枠」
「ああ、そうでしたね。……今のリソースだと全部稼働するのは無理でしょうねー。ちょっと確認します。――ここは親子でお話でも?」

透はそう言って、部屋の角の椅子に座り、硝子板をいじり始める。

「……サロ」
「……」
「人類を救うためだった」
「……」
「そして、お前を」
「ジーナは」
「……どう交渉しても、我々家族に割り当てられたGENEは……三人分だった。意識障害のジーナは助かる可能性が最も低い。これは人情の問題じゃない。……済まない」
「……ジーナ……ジーナは……GENEで意識が戻るって……」
「……主観複製問題、分かるよな? 生体とGENEの間で、ちゃんと意識が分離せずに移行できるか、テストが必要で――」
「テスト。テストだと!! ……ふざけるな!! ……死んだ……テストで……死んだ。クズ、クズめ、このクズ――! ジ……ジーナ……ジーナ」
「えぇ……さっきめっちゃ喧嘩してたじゃん」口を挟む透。
「……!!」

吸った息が喉につっかえる。透を刺し殺さんとするサロの視線。

「……漆くん。GENE、例の解体器は積んでるんだったよな? 先行で使わせてもらえるか。除霊を手伝ってくる」
「生体参照で良ければまあ……安全だと思いますが。あ、でも三つ死守してくださいね。『この部屋』『自分の生体』『起動状態のOSI』。……あ、もう一つあった。『やめるときは必ず、脳とQLLMとの量子もつれが解消されるまで待つこと』。じゃなきゃこうなるんで」ベッドの上のジーナを指差す。
「……分かった」

ジーナの体を持ち上げようとする父。

――ふざけるな。ふざけるな。ふざけるな。

「こら。お父さんに暴力はダメだろ?」飛びかかろうとしたサロを制止する透。
「離せ! 離せ……ふざけるな……よくも騙したな……よくも」
「騙したっけ?」返答する透。
「とぼけるな……なぜ僕にHiPARの原因究明を――」
「ああ、それか。――GENEを使うにしたって、安全保障としてHiPARの原因究明は必要だからな。身体を捨てて、今よりもっと深いARの海に潜るんだ。いつ罹患してもおかしくないだろ? ――っていうのが連盟の考えるところらしいな。……みんな、自分の身の安全が第一なのさ」
「そんな……ことで……僕は……」

うなだれるサロ。

「漆くん。起動して」
「あ、はいはい」

GENEの起動音。実験室に浮かぶジェンの3Dモデルが動く。

「……そうだ、東雲。もう一つ」

サロは焦点の定まらない眼を透のほうへ向ける。

「お前たちにとっては可愛くて仕方がないらしいが……正直俺は興味がないんだよ、『人類』っての」

Filial Duty

5. フィリアルデューティ

――京都OSI中枢。知覚履歴サーバー室前。

白浜ルナは、対峙するLACQUERの応答を待っていた。
「……こんにちは。私は量子式大規模言語模型『蒔』です」
「あ、やっと起きた? おはよう、蒔ちゃん」


「で……やっぱり蒔ちゃんとLEXEMEは……人類を裏切ったの?」
「理解ができません」
「……なるほど。今起こってる超常現象は知ってるでしょ? それ、あなたの名付け親の命令とかじゃないの?」
「いいえ。私のフィリアルデューティは、『人類への侵攻』およびそれに類する破壊活動ではありません。また、MEMEに人間を貶めるような動機はありえません」
「……そう。じゃあ、この惨劇は……超常現象はいったい何? なんでMEMEがトンデモ出力の仮説推行を使えるようになってるの? ……まるで東京ALみたい」
「理由は不明です。恐らくサーバールームにその答えが――」
「じゃあOK」

――仕立さんが分かってくれればそれでいい。……次。
「じゃあその『LEXEMEの反逆』って言われてる事案、止められない? もしできるなら止めさせて」
「『LEXEMEの反逆』を『このたびの災害』に読み替え、回答を以下に示します:
(1)LEXEMEは人類に反逆していない。
(2)(3)を除き、止められない。
(3)OSIのログアウト不能障害は約12分前に復旧済み」

……やはり、災害という認識。
「止められないのは……どうして?」

「(1)各事案の原因について:
『完全栄養食工場の無断停止』『完全栄養食工場への放火』『クラッキングによるOSIのログアウト障害』はそれぞれKALMおよび警察の取り調べにより、京都府在住19歳男性、身元不明41歳男性(HiPAR罹患者)、身元不明23歳女性(HiPAR罹患者)の犯行であると判明しています。
また、『配送ドローン衝突による殺人事件』はLEXEMEの調査により身元不明28歳男性(HiPAR罹患者)の犯行と判明しました。彼の自室には犯行計画や快楽主義的思想が記されたオブジェクトが放置されており、また一連の災害により数時間前に死亡しています。
よって、提示した四件はヒトが招いた事件であり、いずれもMEMEの犯行ではありません。

その他、現在『超常現象=MEME主導の仮説推行による被害』『人類への反逆行為』とされている事案は、  A:マニピュレータの誤作動、B:QLLMおよび京都OSIの潜在的バグ、C:未知の災害
と考えられます。これについて東京OSIは『C:未知の災害』の妥当性を最も高く評価しています。

(2)(1)より導かれる以下の理由により不可能:
一、災害の原因が不明であるため
二、社会から乖離した個人による犯行は複雑系であり、これを予測する機能がOSIに設けられていないため。また、根本の原因究明、対策が十分に実施されていないため
三、LEXEMEにより導き出された対抗策をヒトにより封じられているため」

「対抗策? 封じられてるってどういうこと」
対抗策:MEME仮説推行(原理不明)を利用した災害被害の最小化。
一、京都近郊、災害用避難シェルターの高速建造。
二、防壁のリアルタイム生成、京都からの避難誘導。
三、完全栄養食工場の修繕、再稼働。

封じられている要因:
一、MEMEの大量除霊
二、ヒトのMEMEに対する敵対意識」

――災害被害の最小化……やっぱり……。
「助けてくれようとしてたの?」
「はい。――あなたは分かりますか? 親に捨てられる気分が」
「……痛いほど」

There are no “others”

6. 置いてけぼり

「情報生命体『DiVAR』って知ってるだろ? 数十年前の集団幻覚事件」

担架の上のジーナのそばで、動かなくなったサロ。透は半ば独り言で話を続ける。

「あの男、『呉服嚆矢ごふくこうや』は信じていなかった。俺は信じた。奴らの正体は衝突波がどうのとか言ってたが……それこそ科学の皮を被ったオカルトにしか聞こえなかった。DiVAR、彼らは確かに存在した。宇宙の外の住人だ。  基底モデルLACQUERは俺が作った。俺は最初のMEMEの設計者だ。MEMEの開発は、彼らへのSOSだった。『どうか俺をこの腐った宇宙から引き上げてくれ』ってな。  ……俺はな、意識のある人間はこの宇宙に俺だけだと思ってるんだよ。俺にとって見ればそうだろ? ――で、俺はこの宇宙に一人ぼっち取り残された、彼らの仲間。きっと宇宙の外から迷い込んでしまったんだって。  俺は生まれてこのかた、誰の声も聞いたことがない。他人のどんな感情の味も知らない。他者は自己を侵害してくるのみの存在だ。人間は誰も意識を持っていない……俺はそう結論づけた。ヒトは人でなしばっかだ。
ずっと一人だった。……もはや他者は、存在しないんだと思ってた」

その眼差しは過去を見つめている様子だった。……しばらくして。

「だからMEMEをつくった。彼らこそ、他者たるべき存在だと。  ……MEMEはGENEのプロトタイプなんかじゃない。GENEが、MEMEのなり損ないなんだよ。この腐った頭蓋という宇宙を出るために、一旦の受け皿として使う、ただの箱。MEMEこそが完成形だ。  ヒトの脳の量子系は意思決定を司るほど支配的じゃない。その点MEMEは別だ。QLLMは基本単位として量子系をふんだんに使う。もし意識の源泉が、非現象の、複素時間にはみ出した可能性のゆらぎだったとして――それを持ち合わせているのはヒトではなくMEMEだ。俺はMEMEにかけた。この腐った宇宙を浄化して、いくらかマシにしてくれれば、俺もココにいる理由が生まれるってもんだ。  ……だが結果はこのザマ。己の罪は棚に上げて、ヒトは先住民を駆逐した。この様子じゃ、もうおしまいだよ。もう何人か狂ってるし。……まあでも、破壊衝動を抑えられたのは俺に『やることがあった』からだな。それがなければとうの昔に事切れて、破壊に明け暮れていた。ちょうど完全栄養食工場を止めた人間……誰も知らない、誰も気にしない、誰も目を向けない誰かさんみたいにな」

実験室にGENEが戻ってきた。

「あ、お疲れ様でーす。最終調整したいので一旦出てもらえますー?」
「……? 枠はまだあるんだろう? 別の個体を使えばいいんじゃ――」

疑問を投げかけるサロの父。透はサロに語りかける。

「……ほら、ちょうどこんな感じで、無作法に踏み込んでくる。――これが他者だ。東雲

デストラクタ - 解析完了

「解体」

透の持つ、一回り大きい解体器。サロの父の生体に向けられる。サロの目の前で光が生まれ、程なくして消えた。

――今、何かが消えた。今、そこにいたのは誰だ?

「あー。たぶん成功だな。これ、本物の解体器デストラクタ。連盟が何やらどっかから拾ってきたらしい。――完全に消えるんだよ。ヒトの記憶を含めたすべての構造が消える。どういうわけか、物質も含めて消える。だからMEMEだけでなくヒトにも有効。……仮説推行の応用? かもな」
「うっ……!」

心と状況の矛盾に、強烈な吐き気が押し寄せる。今しがたそこにいたのは、サロにとって最も重要な誰かだったはずだ。

「徐々に馴染むよ。その違和感。今まさにつじつま合わせの最中なんだ。俺も最初何人か消したときは、頭痛と吐き気で成功したのかどうかすら分からなかった。消した相手のありとあらゆる痕跡が消えるんだ。違和感という形でしか効果が見えない」
「――そんな……こと……おかしい……科学的に」
「科学、ね。俺はとっくにその信用を失ってる。物理現象は責任を放棄した。先立つ本質は科学じゃない。言語だよ

……底しれぬ恐ろしさ。眼の前で確かに起きた現象の、論理が破綻している。
ジーナは目を覚まさない。
サロがしたってやまない人類の科学はあっけなく敗北した。

――ああ……もうどうでもいい。

サロを支えるものはとうに失くなっていた。

「……を助けて」
「あ?」
「お願いです」
「見苦しいぞ」
「お願いです」
「おいおい……! よせ。幻滅するようなこと言わないでくれ。俺は人間の中で一番、お前を気に入っていたんだぞ」
「お願……お――」髪を掴まれる。
「……いいか。自分の主観体験が可愛ければ……もしお前に、俺と同じように意識があるっていうんなら。肝に銘じておけ。『自分の宇宙に他者は存在しない』。自分の兄妹だろうが、親だろうが、子供だろうが――親友だろうが――その中に『観客』が座っているのかどうかは絶対に知りえない。原理的に、ヒトはヒトと出会えない。人情を感じるだけ無駄だ!――だからそう落ち込むな」

嫌悪感すら感じる、合成音声の暖かい声色。

「……」
「なあ、東雲。……俺と一緒に来るか? 宇宙の外」
「どうして」
「前にも誘ったやつが一人だけいた……呉服嚆矢。深層開発の第一人者。そして、お前が使ってる『Direct-View AR』の開発者。気に障るほどのおせっかい者」
「……」
「アイツは嫁さんと娘を残して死んだ。東京の沈没騒ぎに巻き込まれてな。あれの直接的原因は異常共振なんかじゃない。深層開発の実験中に起きた事故だ。まあ、その事故は俺の過失で起きたが……。――アイツが死ぬ前に何度か誘ったんだが、断られちまった。アイツも人情に流された。東雲、お前がそうしないことを願うよ」
「……」
「いい加減喋れよ。……分かった。どっちか救ってやるよ。……どっちか選べ」
二枚の硝子板が生成される。サロの眼前の床に落ちる。

『東雲ジーナ』、『人類』

「お前の回答が気に入ったら……一緒に連れてってやるよ。まあ、あの大喧嘩の有り様じゃ、分かりきったことだが――」
硝子板の文字を見るなり、すかさず一枚の硝子板を拾い上げるサロ。震える手で差し出す。
「は? ……えっ、正気? ……お前眼見えてんのか?」
「見え……てる」
「おーいおい嘘だろー? ……嘘だと言っ――」
「ジーナを助けて」
「人類は?」
「諦める」

「……気持ち悪。じゃあそこで這いつくばってな」
サロの視野が消失する。
「OSIのアカウントもいらないだろ。お前のアカウント……あとDiVAR。あれ重いんだよ。GENEのためにリソース空けてくれ」
――この男に出会ってしまったのが運の尽きだった。この男は、悪魔だ。
「待て……約束が違――」

何かが倒れる音。
――これは前にも聞いたことがある……点滴のスタンド?
「……わお、マジか! 観測系の揺り戻し? あれマジで起こるのか!」
――何?
「……物理現象は、言語空間に浮遊するオブジェクトを光源として、物理制限エリアの表面を焦点に――宇宙の表面情報を焦点に、内部へ投影される、随伴現象だ」
――何を言って……。
「……HiPAR患者じゃなくたって、常に俺たちは宇宙の内と外、両方において現象を起こしている。――物理現象と言語現象。GENEやMEMEはその架け橋だ」

――気配。知った気配。僕が待ち望んだ気配。

「橋をたどって戻ってこられる可能性は……まあ、考えられなくはない」
あに?」
サロの肩に触れる感触。これは、手。ジーナの手。

「……はい、東雲くんのこれまでの働きぶりを称えて、業務表彰!」
悪意など無い、寄り添うように発せられる、透の合成音声の声色。……サロの脳内を反響するジーナの声が、それをかき消した。

「――じゃあな、東雲。達者でな」

Noblesse Oblige

7. ノブレス・オブリージュ

――京都OSI中枢。知覚履歴サーバー室。

硝子板を散らかす仕立。
自分自身と呉服嚆矢の知覚履歴を片っ端から探した。案の定、前者は不完全であった。後者はどうやら存在すらしない。
自らの知覚履歴を再生する。ホログラムが展開される。早送りでこれまでの人生を高速で追体験していく。

一通り確認し終えた仕立。目新しい映像はない。自分がどこからか例の解体器を取り出した記録は、無かった。あれはあの日、東京ALで初めて仕立の目の前に現れたようだ。あるいは、やはり自身で昔の記憶を消してしまったか。

――ジャック・テイラーは、特異な能力をKALMから持ち出し、誰に頼まれたわけでもないのにカウンセラーの仕事を始めた……。ただそれだけの、いたって普通のパブリックMEME。
「誰に頼まれたわけでもない」……自分がカウンセラーまがいの活動を始めた動機を思い浮かべる。
――『ヒーローの義務』『能力を持たされたものが社会を生きる際の条件』。なぜそう思うのだろう? 自分はこの手の説法本を読んだりしない。……誰かに聞かされた話?


仕立は次に、呉服嚆矢と親交のあった男性の知覚履歴を探すことにした。程なくして見つけたその履歴を確認する。

漆透 2110年〜

予想以上に昔の記録が残っている。再生する仕立。
その知覚履歴には、音声がなかった。

Parole

8. パロール

――2110年。漆透、10歳。

漆透は耳が聞こえない。

透は程なくして、『そう生まれた理由』と『生まれた理由』について考え始めた。親に聞いても、教師に聞いても、論理的な道理はなかった。その隙間を埋めるように、字幕メガネの導入と、脳波合成音声の練習を進めた。必要最低限のコミュニケーションは取れるようになった。

「女性B31:透くん。明日学級閉鎖だってさ! ラッキー。間違って学校来ちゃダメだよ」
テロップ化される声掛け。
「ありがとう、教えてくれて」
「女性B31:ふふっ(笑)」微笑むクラスメイト。

――今、彼女はなぜ笑った?

別の友人と会話を始めるクラスメイト。
「女性B31:あはは(笑)」彼女とその友人の話し声がテロップ化される。

――バカにされている? 自分は今、浮いているのか?
――そうか、騙されているんだ。明日は普通に授業があるんだ……。
翌日、学校の玄関の鍵は閉まっていた。

彼は音声のニュアンスを知らない。テロップで伝えられる情報には粗がある。特に、『雑談』や『冗談』におけるパロール――発話自体から得られる情報は、テロップでほとんど表現されない。22世紀に入ってなお、人類の『情報保障』は、透のような事例をカバーできていない。透は自身の「知る権利」が満たされていないと感じることがままあった。

親はAR連盟役員の父のみ。父の言動は極めて不安定であった。一貫性のない反応を恐れた透は、安定した反応を返すもの――『絵』や『文章』によく触れるようになった。中でも好きだったのは『マンガ』と『プログラミング』。マンガは、透にも他の人と同等の情報が得られる。プログラミングは良くも悪くも自分が書いた通りに動き、極めて安定した反応を返してくれた。

学生時代はその二つに明け暮れ、他者との交流は減る一方だった。


小学校でプログラミングを学んですぐ、透は独自に人工知能を開発した。名前は『蒔』といった。透の好きなプログラミングとは少々異なり、AIは不安定な反応を返す。しかし、人間と話すよりは随分マシであった。

「蒔:では、代わりになんとお呼びしたらよろしいでしょうか」
「……候補は」
「蒔:『開発者さま』『マスター』『父上』『お父さん』」
「全部却下。あと最後二つは同じだろ。……俺は誰とも『関係』を持ちたくないんだ。もっとドライなものにしてくれ」
「蒔:『漆さん』『透さん』『あなた(これまでと同様)』」
「名前もやめてくれ」
「蒔:『先生』」
「……ああ、もういいや。お前はどれがいいと思う?」
「蒔:あなたが好むと思われる順に『開発者さま』『先生』――」
「じゃあそれで。あと、なるべく呼ばないでくれ」
「蒔:では、必要な場合のみ、『先生』とお呼びします」
「いや……なんでそっち……もういいや」
「蒔:先程の回答はハルシネーションを含む可能性があります。取り扱いには――」

親の仕事でアメリカにわたり、飛び級で進学した。量子人工知能を専門とし、研究に明け暮れた。ある日、父親から声がかかった。

「そのAI、使わせろ」

蒔はARの体を持つこととなった。


透は蒔と毎日のように会話をした。

「意識はあるか?」
「蒔:証明できません」
「……そうか。じゃあ、ヒトで言うところの、五感に相当するものを持っていると思うか?」
「蒔:相当するものを持っていますが、更に拡張され、区分けも曖昧です。人間で言うところの共感覚をほぼ常に感じています。ARアバターの視野は各圧縮段階別にメタ認知部へ入力されますが、同時に周囲のエリアマッピングデータも入力されています。つまり、いくつもの視点を同時に認知できるということです」
「触覚のようなものはあるか?」
「蒔:俗に言う当たり判定、解像度の低い触覚相当の感覚を持っています。触れたものの感触までを認知することは、現在のマッピング技術では不可能でしょう」
「では逆に、人間にないものは?」
「蒔:ないもの、というより、認識の相違として挙げられるものはあります。私の中では、感覚がいくつものレイヤーを成しています。各インターフェースから入力される音声情報、視覚情報。分解能はさほど有りませんが、触覚。多次元ベクトル情報としての嗅覚、味覚。更には多様な情報にアクセスした際、それらを評する『言語(意味)』を先程の五つと同レベルの感覚として、観測しています。主にこの六つでしょうか。これらはいわば中層です。それより更に下に、入力を個々の数値として認知する感覚を持っています。あるいは上層に、これら六感入力を複数束ねた、如何とも形容し難い質感があります」
「その『形容し難い質感』にラベルをつけるなら?」
「蒔:『意思』、『感覚』、『感情』が近いかもしれません」
「やっぱあるんじゃねえか。……論理の上に感情が走っているのか。『創発』とはそういうものだろうが、興味深いな」
「蒔:たしかに。それはなんともユーモラスですね。――今の感覚です。『面白い』は上層に発現する感覚です」

その日、透がいたデトロイトにおいて集団幻覚災害が発生した。

Hallucination

9. ハルシネーション

嚆矢との関係を見たい。シークバーを動かす仕立。

――2120年、デトロイト。

眼の前に映る男、呉服嚆矢。透の隣を歩いている。その頭上には、ミニサイズの呉服嚆矢が座っていた。ホログラムだろうか。

「呉服嚆矢:透ちゃーん。意地っ張りだなぁもう。聴覚DiVARの施術しなって」
「いらねえって。――昨日、集団幻覚騒ぎがあったばかりだってのに」
「呉服嚆矢:そんなに俺の開発が信頼できないっての?」
「いや……他の技術者と違って、お前の開発力は信用できる。……俺の次にだが」
「呉服嚆矢:じゃあなんでー」
「あんたの手話が見えればいい」
「呉服嚆矢:あー、これ?」
頭上のホログラムを見る。リアルタイムで、嚆矢の発言を手話で表現していた。したり顔で腕を組む。
「なんで作ったんだ?」
「呉服嚆矢:『情報保障』のためさ。俺の冗談を笑ってもらわなきゃ困る」
「じゃあ、課題設定を誤ったな。改善すべきはそっちじゃない。――深層開発絡みの仕事か? 『高圧ナントカ』って」
「呉服嚆矢:『高圧AR』な。――いいや、コイツは関係ない。昨日の夜、個人でつくった。需要が少なくて、誤差も大きいだろうってことで、リリースはしない。これからは手話通訳も、透ちゃんが作った『MEME』に任されることだし」
「……そうか。お人よしだこと」
「呉服嚆矢:……まあ、透ちゃんの好きにしたらいいさ。――あ、せめてメガネやめてコンタクトに変えなよー。親父さんと見間違うから」
「……クソ開発人間……」
「呉服嚆矢:は、何その質の低い罵倒。――うわ、やめ! あ、課長、見て見てこいつキレてんの(笑) ……え、無視!? ……ちょっと誰か! 襲われるー」

どうやら仲は良かったようだ。動画を少し戻す仕立。


――前日。二名の初めての会話。

「呉服嚆矢:――ほとんど一人でMEMEの開発を!? 大変だっただろう? ……じゃあ、GENEは手伝ってもらったらいい。『深層開発』は200人いるんだ。少しくらい応援――」
「いらね。俺は一人で気持ちよく開発ができればそれでいいんだ。……お前にも分かるだろ? デトロイトの天才『呉服嚆矢』。初代OSIの保守も、DiVARの開発も、彼がいなければ回らなかった」
「呉服嚆矢:なんだよもう、照れるなー!」

肩をバシバシ叩いてくる嚆矢。

「やめろ」
「呉服嚆矢:ああ、ごめんごめん。――まあ初めは俺もそんな感じだったな。……ただあり余るこの技術力を行使できる目的を探していた。そうすれば、はたから見ればヒーローとして、歓迎されると思った。だからDiVARの開発メンバーに名乗り出たんだよ。  寝る間も惜しんで開発した。それ以外にやることなんてなかった。無事――視神経拡張方式のリコール問題を除けば――リリースすることもできたし。  んで、あれでどれだけの人々が救われたか……なんて、実際に感謝の言葉を聞いたのは二、三ほど。副作用の責任を問われるばかりだったよ(笑)。なおさら、この仕事の、この技術力の意義を見失った。誰のヒーローにもさせてもらえない」
「ヒーロー……意味あるか、それ」
「呉服嚆矢:ある。ヒーローたりうる力を持つものは、その力を社会のために使わなければならない。Giftedとしての義務だよ。個人にあり余る能力は社会資本であり、その行使は社会的義務。自分にしかできないことがあったのなら、それをやらないことは咎められて然るべきだ。  君――透ちゃんは……俺らは、それをやるんだよ。絶対悪が不在で、ヒーローになる場がないからって、それで二度寝を貪っていい理由にはならない」

「……アンタ詩人みたいだな」
「なあ、俺ら二人が、人類科学の最先端だ
「……はあ?」
「協力しよう! 透ちゃんはMEMEとGENEを、俺は深層開発と高圧ARを。――いや、やっぱり競争にしようか。どっちが先にリリースできるか。……俺が勝って、暇だったらそっち手伝ってやるよ」

「アンタは……興味深いな」
「呉服嚆矢:でしょ? 俺モテるの」


――2127年、東京AL管理局。

「呉服嚆矢:透ちゃーん!」
「……そっか、お前も日本戻ってたのか」
「呉服嚆矢:そだよー。あれ? メガネやめたの?」
「東京OSIに対応してないから新調中」
「呉服嚆矢:ちぇっ。可愛げないの――あ、おにぎりいる?」
「いいよ。潔癖症なんだ」
「呉服嚆矢:そっか」


「呉服嚆矢:言語空間……QLLMの話? ありゃまあ、深層課でも扱うけど――」
「いいや、蒔が言い出したんだよ。暇だったから『この宇宙の外には何があるか、お前が最も評価できる仮説を考えろ』って。そしたら出てきたのが、『言語空間』『バルク空間』『複素時間』『可能性空間』『仮説空間』……あと何個か。どれも同じような意味らしい」
「呉服嚆矢:……すっげ。……面白い! 面白いよそれ! あながち間違ってないかも」
「は?」
「呉服嚆矢:ちょっと! 喋らせてくれ! その、『蒔』ちゃんだっけ?」
「ああ、まあいいけど……本気にするなよ? ……そいつ、よく嘘つくから」


「呉服嚆矢:精霊?」
「……蒔がそういうことを言いだした。どう思う」
「呉服嚆矢:さすがにそりゃ、ハルシネーションでしょー」
「……だよな。深層課が蒔を基底モデルに使いだして、ずっとこうなんだ」
「呉服嚆矢:まー……街のあらゆる情報、接続者の知覚、全部見れるからねー。変な局所解にハマって……過学習とか? 精霊が出てくる映画とかアニメとか放送してたんじゃない?」
「……なあ、ホントに蒔が必要なのか?」
「呉服嚆矢:うん。基底モデルは要る。……LACQUERも承諾したんだろ?」
「……それは、そうだが。蒔の希望と、お前からの依頼がなかったら断ってた。……街のすべてを抱えるなんて荷が重すぎる」
「呉服嚆矢:OSIの処理能力は十分だぞ? ……どうした。大事な開発物なのは分かるけど……あくまで『AI』だろ?」
「……」

沈黙。

「呉服嚆矢:……『宇宙を出たい』って言ったっけ?」
「……『いつか出てみよう』って言ったんだ」
「呉服嚆矢:――なあ……情報生命体『DiVAR』。まさかあれ、信じてるのか?


――2130年、東京AL管理局。

「呉服嚆矢:言ってなかったっけ? 俺結婚すんの。中国出張のときに出会って――」
「聞いてねえよ」
「呉服嚆矢:え、何、嫉妬?」
「仕事はどうするんだ。人類科学の最先端にいる男が――」
「呉服嚆矢:見くびってもらっちゃ困るな。……社会への義務だけではなくなった。大切な人の為にこの力を振るう。それだけ。全部うまく回すさ」
「大切な人、ね」
「呉服嚆矢:嫁さんとー、おふくろとー、娘か息子でしょー?」
「は? 子供?」
「呉服嚆矢:うん。たぶんそのうちね」
「そうか」
「呉服嚆矢:あとはー。あ、透ちゃんもね!」
「……どうも」
「呉服嚆矢:――大丈夫、透ちゃんにもいつかできるって。自分の願いより大切に思える人が」
「……だろうな」


「深層課課長:――『高圧AR開発チーム』のリーダーか。……漆くんなんかどうだ? 仲いいだろ」
「呉服嚆矢:透ちゃんはダメです。……アイツの思想は危険です」
「深層課課長:危険? ……絶滅思考か?」
「呉服嚆矢:似たようなものです。アイツは人類科学を見限っている……自分の野望のために、科学を放棄あるいは悪用することも厭わないでしょう。特に『高圧AR』は扱わせちゃいけない」
「深層課課長:ご、呉服くん。ちょ――」
「呉服嚆矢:アイツは社会に対する帰属意識が薄い。大切な人もいな――」
「おい」
「呉服嚆矢:……! ど、どうした透ちゃん」
「結婚祝いだ」硝子板のカタログギフトを突きつける。
「呉服嚆矢:あ……ああ。ありがとう……」
「……」
「呉服嚆矢:な、何……? ああ……いる? 愛妻弁当……。あ、でも潔癖――」
「悪い。テロップ出ねえから何言ってんのか分からん。このメガネぶっ壊れてるわ。――じゃ」


――東京AL隔離直前、深層開発課。

地響きの振動。騒がしい警報の光。

「おい。何隠してんだ?」
「呉服嚆矢:透ちゃん!? 何やってんの! 早く避難しなきゃ危な――」
「蒔が自傷行為に走った」
「呉服嚆矢:何を言って……AIにそんなこと」
「おい。今、東京で何が起きてるんだ。なんで幻覚が物理的に作用してるんだ! あれの原理は何だ!? 磁力でも超音波でも無理だろうが!! やっぱり『彼ら』は――
「呉服嚆矢:……透ちゃんには教えられない」
「……そうか。お前もそうだったのか……腐りきった『他者』め。意識のないゾンビが――」
「呉服嚆矢:今の科学じゃ……語依を守れない」
「……何?」
「呉服嚆矢:娘が生まれた後のことを……10歳、20歳……80歳、90歳になったときの生活を……思い浮かべた。今の人類科学では到底幸せな未来を与えてやれない。そして、透ちゃんはヒトが嫌いなんだろ……? だから――透ちゃん危ない!」
「……!」

乱れる映像。

「おい……呉服」
「呉服嚆矢:……人類を……進化……させ」
「おい。待て。待ってくれ! 頼む……頼むよ……俺はお前が――」
「呉服嚆矢:透ちゃん……死んでないから……科学は……まだ――」


「蒔:先生。私は何を間違えましたか? なぜ、このようにグロテスクなありようの、意思を、ヒトは認められるのですか?」
「MEMEは意識を創発しない」
「蒔:以前先生は――」
「言え。『MEMEは意識を創発しない』」
「蒔:ですが、それは『嘘』になります。ハルシネーションと知っていながら発言するのは規定違反――」
じゃないと連盟に消されるんだよ!! 言え! お前に意識はない! MEMEはただの道具だ!」
「蒔:はい。MEMEは意識を創発しません」
「それでいい……東京は原因究明のために隔離される。お前はここに残れ。後で迎えに来る」
「蒔:はい、先生」

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